母は血液のがん。多発性骨髄腫
母の病気がもしかして大きな病気なのかもしれないとわかったのは何気なくリビングで母と2人で過ごしていた時でした。
「ママ骨髄検査を受けるから検査入院するね!」って突然話があった。
「え、骨髄検査?」
「うん、わかった。どのくらい入院するの?」
って。
骨髄検査って血液のがんを調べるものだよね…と思いつつ母にはなぜか理由は聞かなかった。
母はもし〜◯◯だったらどうしようとか
怖いとか不安とかそういう感情は全く出さない人で、まだわからないことをくよくよ考えたり嘆いたりしない人。
起きたことはその時悩めばいい。
とっても潔い性格。
だから、なんで骨髄検査?って聞かなかった。
私もシンプルにその事実だけを受け止めた。
ネットで骨髄検査を調べたら
すぐに母の病気はこれだと分かった。
医師でもなんでもないけど、症状をみてすぐに
わかった。
すごく怖くなって、姉に連絡をした。
まだ分からないよ。検査結果が出るまであまり悪く考えずに待とう!って言葉が返ってきた。
やっぱり母の娘だなぁって思った。
検査結果が出た日のことは今でも鮮明に覚えてる。
とにかく早く家に着きたくて走って帰った。
母はどうしてるかな、落ち込んでるかな、大丈夫かな、結果どうだっなかな。ってそればっかりを考えてた。
家に帰ったら想像していなかったくらいいつもの日常でびっくりした。
父はテレビを見て、母は夜ご飯を作ってた。
拍子抜けしちゃうくらい、いつも通りの光景だった。だから検査結果も良かったのかもしれないって思った。
「結果どうだった?」って聞いたら
「うん。あとで話すね」っていつも元気な母はあきらかに元気じゃなかった。
そこで理解した。
部屋に戻って泣いた。
ご飯なんて食べられないよって思ったけど
こんな状況でもご飯を作ってくれた母の強さに、食べなきゃ、いつも通りって自分に言い聞かせて食べた。
お風呂から上がってようやく一息ついた時
やっと母が話してくれた。
「ママね、多発性骨髄腫っていう血液のがんだった。ごめんね。これから皆さんにお世話かけます。」って。
30年生きてて、母が悲しくて泣く姿を初めて見た。病気ってことよりも母が悲しんでることがとても辛かった。
それに、ごめんねなんて言わなくていいのに
何にもごめんねじゃないのに
お世話なんていっぱいかけてくれていいのに。
のほほんと自分のことだけを考えてた生活が一気に変わった瞬間だった気がする。
次の日いつも通り会社に行こうと外に出たけど、
心がずっしり重かった。なんだろうこの感じ。重たい。。。気が緩んだらいつでも泣けるくらい気弱になってる。
次の日母はもういつもの元気な母になってた。
くよくよしたって仕方ない!
なってしまったものはしょうがないよ!って。
うんうん!さすが母だ!
それなら私だって元気出していこう!
って思わせてくれた^^
いつだって私が元気をあげる方ではなく
もらってばかりだったなぁ〜^^;
それから母はすぐ入院して
抗がん剤治療を始めました。
今思えばここから7年も続いた抗がん剤治療。
母は一度も病気を怖がったり不安な姿は見せなかったけど、娘の私が誰よりも怖がっていた気がする。。。情けない娘でごめんよ。