裏磐梯で熊に出会った ~前編~
福島「麺」道中 #4
1.旅のしおり
6/29(土) Day1
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5:00 秋田県角館町発
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9:40 福島市
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11:00 昼食① 「伊達屋」
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12:00 裏磐梯・桧原湖(←now!)
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14:00 昼食② 「山塩ラーメン」
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17:00 猪苗代湖
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19:00 山形県米沢市ホテル着
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6/30(日) Day2 へ続く
2.美しい約束
「傷口は弄ると化膿することがある」
これは、僕が母から学んだ幾つかの教訓のうちの一つです。
僕は幼少期の頃、あまり聡明とは言えない子供だったので、近所の草むらを走り回っては転んだりして、いつも膝に傷を作っていました。
家の縁側で絆創膏を取って、出来たばかりのかさぶたを剥がしていると、よく母に怒られたものです。
「あまりイジれば、ウミ(膿)出来るで」と。
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福島市内で早めの昼食を取った後に、貴景勝くんのエクストレイルで、裏磐梯・桧原湖を周遊し、水辺に集う人々を見ながら、そんなことを思い出していました。
「傷口は弄ると化膿する」
それは、人の心も同じかもしれません。
NHKを見てると、未だに福島県が震災の暗い影の中にあるように思えてきます。
マス・コミュニケーションの世界では「復興」だの「支援」だのといった言葉ばかりがクローズアップされていますが、少なくとも僕たちが、今回の旅で出会った福島の人たちは、そんな言葉とは無縁で、みんなチャーミングに笑っていました。
「震災を忘れない」というのは勿論ですが、福島の人たちは、すでにそのパラダイムから、一歩(あるいは二歩)踏み出しているように見えました。
僕たちが考えているよりも遥かに力強く。
人々はとりあえず、傷口に絆創膏を貼って、チャーミングに微笑みながら、その眼差しは「次のこと」を見据えているように思えました。
桧原湖には釣りに興じる人々の姿がありました。
「ここには昔、村があったんですよ」
と貴景勝くんが教えてくれました。
明治時代に起きた水蒸気爆発によって、磐梯山の山体崩壊が発生し、土砂に堰き止められた水が、ここにあった桧原村に流れ込んで、ひとつの村ごと消滅させたのです。
その時、命を落とした多数の人々。あるいは故郷を追われ、散り散りに逃げざるを得なかった人々。
僕は、彼ら(あるいは彼女ら)が別れ際に「また、どこかで会おうな!」と誓い合っている姿を想像します。
しかし、恐らく、その後も人生の荒波に揉まれ、殆んどの村人たちが再会できなかったのではないでしょうか?
僕は曇天の空を反映して、鈍色に輝く桧原湖を見つめながら、その人生の途上において交わされ、結局は果たされなかった「美しい約束」について、思いを馳せていました。
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僕が少し感傷的に「ここにも悲しい記憶があるんだね」と言うと、貴景勝くんは「そうですねぇ」と幾分ぼんやりとした、気のない返事をしました。
もしかしたら、彼もすでに「次のこと」を考えていたのかもしれません。
(「福島『麺』道中」#5 へ続く)
【附記】
桧原湖では夏場など水が少ないときには、底に沈んでいた村の名残(鳥居など)が地上に顔を出すそうです。
(引用元:Wikipedia)
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この前、古い小説を読んでいたら、「チャーミング」っていう言葉を久しぶりに見付けました。
今回、試しに使ってみましたが、なかなか悪くない響きですね。