学校の宿題に立ち向かう塾を作りたい
コロナでこんな風になってしまう前、わたしは塾を作りたかった。塾というよりは、「勉強教室」と呼んでいたそれは、自習がメインで、勉強計画に重きを置くものだ。
家庭教師で見る中学生は、勉強のやり方が分かっていないから成績が上がらない。勉強について行けなくて学校に行けなくなる。勉強が足かせになっていた。
わたしは小学生のとき、宿題ができなかった。勉強ではなく、宿題が。勉強はできるから、どうして家ではこんな問題もできないの、と叱られていた。理由なんてこっちが聞きたかった。どうしても、「宿題」ができなかった。
私立の中学生になったわたしは、相変わらず宿題ができず、そして試験勉強もできず、成績は落ちた。やはり勉強を「しない」から叱られていたけれど、わたしは本気で「できない」と思っていた。勉強のやり方がどうしても分からない。
高校生になる頃には、宿題はやっぱりできなかったけれど、試験勉強はできるようになっていった。やり方が分かったからだ。成績は少しずつ上がり、志望校にこそ落ちたが、大学には行けた。
しかし大学生になっても、わたしは宿題ができなかった。どうしてもできなかった。提出しなければ単位がもらえない授業は落とした。そこでやっと宿題のやり方を考えた。なぜできないのか考えた。大人になったから、本も色々読んで、理論で考えた。
考えたあと、わたしは宿題ができるようになった。「宿題をやる」タスクを細分化し、それぞれに日付や時間を割り当てることで。大学2年生、19歳のことだった。
「宿題をやる」は、思ったよりたくさんの動作からなるタスクだ。まず、何をやるのか把握する。次に、必要なものをそろえる。例えば、漢字ドリルとペンケースを持って帰ってくる。そして、それらをカバンから出す。ペンケースから鉛筆と消しゴムを取り出し、漢字ドリルの該当の箇所を開く。わたしにはこれが難しかったと気づいた。
それから、「宿題をやる」にかかる時間の実感がなかった。例えば、漢字ドリルは5分で終わるとする。しかし、その想像がつかなくて、わたしはものすごい大量の仕事を与えられた気持ちになっていた。
だからわたしは、タスクをできるだけ細分化して考えた。それから、そのひとつずつにどれだけの時間がかかるのか覚えていった。するとわたしは、宿題ができるようになった。
宿題ができないという、たったそれだけのことで人生の半分以上を劣等感で過ごしてきた。わたしは、こういう人間がわたしだけではないと思っている。塾や家庭教師で教える中学生で、あまり点数の良くない子には、まず学校の宿題をやらせる。すると、宿題ができたという実感から、だんだん勉強する気になる。もちろん限度や速度の問題はあるけれど、ずっとマシになっていくのだ。少しずつ、わたしからも宿題を出す。そのうち、自分で勉強を進められるようになっていく。
宿題ができるようになるには、家庭教師や塾の授業ではなくて、自習の時間が必要だ。しかし、ほったらかしで監視していればできる問題ではない。勉強のカウンセリングをして、その場で実際にやってもらい、家でもできる確認し、またカウンセリングをする。そういう、塾とも少し違うような、もっと生徒に寄り添った、そんな塾を作りたい。
今年の1月頃この決意を固め、春休みには始動しようと思っていた。しかし、コロナで外出自粛に。たくさん宿題を出されているから、きっと辛い子どもも多いはずだ。わたしはこれに対する手立てができない。無念。
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