脳が壊れてから。(1)
2022年3月末、私の脳は壊れた。
症状。
記憶の欠落、視野の狭窄、日付を間違え、帰り道を忘れる。そういった状態が続いた。
気分の落ち込みとか、摂食障害、睡眠障害などもあったかも知れないが、然程問題だと思っていなかった。
除外診断は大事。
気持ちの問題については、人並みに働いていれば往々にして直面することだろうし、特段業務に支障がなかったので無視していたのだが、はじめに述べた症状は、いずれも業務や日常生活に有害だと判断せざるを得なかった。
社内の労務デスクに「このままでは業務に支障がある状態だ」と連絡、産業医との面談へ。
まずは除外診断、ということで、神経外科へ向かった。閉所恐怖症で絶対に嫌だと駄々をこね、MRIではなくCTを持って、脳みその様子を見てもらった。
医師曰く「立派な脳みそ」とのことで、症状の原因がアルツハイマー病などの外科的なものではないことが分かった。
翌日、心療内科へ向かうと、普通に「休職せよ」との指示が出た。
私は休職する気はなかったし、症状さえ治れば、あるいは、適切なサポートが得られれば業務を継続したかったので、診断書は不要と言ったが、「医師として出さないわけには行かない。会社に出すかは任せる」と押し切られて診断書をもらった。
正直、診断書を「持ってこられる側」だった経験も幾度かあり、「ダセェな」と思っていた。
しかし、流石にそんな言い方をされたら会社にもまあ出した方が良いか……と提出した所、会社は会社で無視できなくなり、翌々日には休職に至った。
スピード感には未だに驚いている。
原因は仕事ではない。かも知れない。
正直、「仕事がストレスかもね」というのは傍証でしかなくて、ぶん殴られたわけではないので、原因は本当に仕事かは分からない。
だが、「ストレッサーかも知れないものから距離を取るべき。それは仕事も含めて全部」というのは正しかったように思う。
休職中は有給は使えない。
バカほど有給休暇が余りまくっている。なので、「休職中は有給使いたいです」と言ったが、どうやら「医師から休職指示が出ているのを無視して働かせている」状態になるのが会社コンプラ的に良くないとのことで、普通に真っ当に休職になった。
「でも、ほら、あの人とか」「あの人は医者の診断出ていません」などあり、「まずは医師に客観的な判断を仰ごう」という正しいムーブを取った結果、逃げ道が無くなっていた。今思えばやはり間違っていなかったと思うが、当時は「え、なんかルート選択間違った?」と思っていた。
傷病手当金がもらえる。
ちゃんと申請すると、前年の給与所得の六〜七割を日割りした程度の手当金がもらえることが分かった。
金額については、これが給与ではないこと=所得税の課税対象ではないことを鑑みると、働いている時の収入と大差ない事が分かった。
労務の担当者に「最大半年休めます」と言われたときには「いやいや、一ヶ月で帰ってきますよ」と思っていたが、「そんなにもらえるならゆっくり休むのも手だな……」と少し心が揺れた。
休職に入るに当たって。
引き継ぎである。圧倒的な引き継ぎである。
とりあえずローカルにあるすべてのデータを社内クラウドに上げつつ、案件の担当者引き継ぎを大急ぎで行った。
直近で自分が携わっている領域は作品全体の内の一媒体のプロデュース、例えば、「あるマンガ作品のスピンオフ小説開発」辺りだったので、本体からまあまあ独立してしまっていたのだけれど、本体側のPやアシP、マーケP辺りとの数時間の打ち合わせで、とりあえずの引き継ぎをお願いしてしまった。
あまりに不甲斐なかったが、「その不甲斐ないという感情が間違っている」という指摘は正しく、優しいなと思った。
また、もう一つの作品はプロデュース〜ディレクションをほぼ独りで見ていたが、こちらもマーケPに引き取ってもらってしまった。
重ね重ね、「そこそこの職責がある人間が、24時間後に居なくなる」は本当に避けるべきだと強く感じた。(まあもう、今回は引き返せないのだけれど)
この辺で、「再発防止の為に、休職前とは生活態度を改めよう」と誓うに至った。
家族や友人は、概ね私の人格を理解しているようで、「七乃がダメってことは本当にダメなんだな」と理解してくれた。
一方で、職場の人間に、そこまでの理解を求めるのも酷だし、どう思われても仕方がないな、というのが素直な気持ちだった。
「休職しました」と言ったら「じゃああの企画、原稿書く余裕ありますね?」と言ってきた人の心のない友人(?)には笑ってしまった。結局、励ましてくれる口実だったようだ。
彼女に人の心があってよかった。
休職時の診断。
病名は適応障害とうつ傾向。
症状としては不眠と不安。
一ヶ月の休職と、復職後の異動、睡眠薬と抗不安薬を処方された。
一旦ここまで。
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