蒼弥の里帰り(JAZZ-ON!の二次創作)
今年の春の連休は一週間以上あるのだと、気付いたのはルームメイトが荷造りを終えてからだった。
「連休、どっか行くのか?」
「……実家に帰ります……弟が、北海道から帰ってくるというので……それに合わせて」
帰省、か。東京の大学に進学した俺は、友人と二人で、大学からほど近いボロアパートに部屋を借りた。実家から片道一時間そこそこの距離で、いつでも行き来できると思っていたのだが、それ故に帰る機会は減っていた。
それでも年末年始は実家で過ごしていたものの、ついに昨年末は来日した大御所バンドの年越しライブに参戦して、そのまま友達と年を越した。
「いつ帰ってくるの」という母さんからのLINEは既読スルーしたままだ。
「……桐生先輩は帰らなくて良いんですか?」
「うちは兄妹も多いし、かえって迷惑だって」
「……先日祖父が亡くなったんですが、本当に急なことでした。まだ親世代は元気ですが、帰れる時に帰っておいた方が……」
「考えとくよ」
◇ ◇ ◇
「あら、帰ったの」
母さんは、久々に帰った息子に一瞥くれるとスタスタと忙しげに家事に戻っていった。大仰に喜ばれても困るが、それにしても呆気ない。
勝手知ったる居間で勝手にお茶を飲んでいると、洗濯を終えた母さんが隣りに座った。
「ちび達は?」
「連休中はずっと部活だって。あんたと一緒ね」
「サッカー部?」
「みんな、すっかり大きくなっちゃって。あんたが出てったっていうのに家が狭くて仕方ないわ」
苦笑いでため息をつく母さんは、むしろ彼女こそ縮んでしまったようだ。好き放題あばれる子ども(主に俺)に負けじと叱りつける、怖いけど頼りになる記憶の中の母さんと、小さな体でコロコロ笑うこの人は、同じ人だろうか?
「明日から合宿だって言うから、今は散らかってるの。横浜なんて久々でしょ。夕飯までちょっと表行ってなさい」
◇ ◇ ◇
手土産だけは無事に渡して身軽になったが、着の身着のまま放り出されてしまった。この数年で、東京での遊び方こそ覚えたけれど、こんな横浜の片田舎で大学生の遊び場なんて心当たりがない。
部活終わりに通ったマクドナルド、ドラムの練習でお世話になったスタジオ、プロテインが売ってる楽器屋、駅前のカラオケ……あてもなくフラフラと駅前に出てみるも、他所者にはどうにも居心地が悪い。
かつての通学路をぐるぐると歩き回るのも飽きて、気づけば家の近くの公園に帰り着いていた。
「うわ、なんもねぇ」
小さい頃遊んだバカでかいジャングルジムや、バネで揺れる馬、頑張って放り投げれば一周させられたブランコ。言われるまでもなく危険そのものな遊具たちは跡形もなく姿を消し、残っているのは鉄棒と、サッカーゴール代わりにしていたコンクリートの壁くらいだ。
休日の午後なのに人っ子一人いないのは、少子化のせいだけじゃないだろう。寂しい話だけど、こちらにしてみればありがたい。不審者のそしりを受ける心配はいらないな、と、隅のベンチに腰を下ろす。
見上げれば、青い空を流れていく雲。――折角の帰省、これで良いのか? 脳裏を過ぎる問い。けれど俺は、自分でも意外なほどに満足していた。何をするでもなくぼーっと時間を過ごしても、誰にも急かされない。罪悪感を抱かずに済む。瞼をそっとなぜる春の風に心と体を任せよう。
◇ ◇ ◇
「こんな所で、何してるんですか。風邪ひきますよ」
「ああ、ワリぃ」
呆れた声に促され、慌ててスマホを見る。なんだ、まだ全然明るいじゃないか。――って、そうじゃない。
いつの間にか傍らに座っている人物。透き通る長髪。長いまつげ。通った鼻筋。武宮大和。
「お前、こんな所で何してるんだよ」
「それはこっちのセリフです。ランニングしてたら、児童公園で成人男性がイビキかいて寝ているんですから。不審者だったらまずいので、身元を確認しようとしたら……」
「……すまん」
「僕に謝ることじゃないですが、反省はして下さい。その図体でその無精髭は相当ですよ。元々そんなに目つきも良くないんですから、せめて清潔感は保たないと」
高校の卒業以来に再会した俺の幼馴染は、その瞬間のまま時間が止まっていたかのように、変わらぬ調子で語りだす。
「大和が未だにこんな辺鄙なところにいるなんて思わなかったよ」
「ひどい言い方ですね。武宮の本家がこのあたりにあるので、跡取りの僕は離れづらいんですよ。それに、大学へは一時間少々で通えますから」
「一時間って……」
「冗談ですよ、今は僕も駒場に一人暮らしです」
昔から、こいつの冗談は分かりづらいし、笑いどころが分からない。
「桐生は、続いてるんですか、二人暮らし?」
「ああ、暁な。色々あったけど、安アパートで一緒に暮らしてるよ」
「不思議なものですね。どちらかというと、弟くんと仲が良かったと思うのですが」
「まあ、正直それはそうだな。ぶっちゃけ最初は超不安だったし」
ルームメイトの暁は変なやつだった。真面目な顔した変人というか、常識人の顔してぶっ壊れてるというか。俺もたいがい宇宙人みたいな奴の扱いには慣れてたけど、暁はなまじ普通っぽく見える分、周りの期待値とのズレが生まれてしまうらしい。入学当初はかなりそれで揉め事もあったみたいだけど、気づけば勝手に順応していたようだ。
「やっぱ、アイツら兄弟みたいな場合、一度家を出てみるってのは良いんだろうな。環境を変えれば、人は変わる。それでも変わらない所が、本質っていうか」
「桐生……本当にまともな日本語を話すようになりましたね」
「おい、それどういう意味だよ」
「言ったままの意味ですけど。高校の頃の貴方は……ふふふ」
「あーもう、分かったよ」
◇ ◇ ◇
「今って楽器どうしてるんだ?」
「……新居に持っていきましたが……まあ、吹く機会は減りましたね。しまいっぱなしです」
「マジで? もったいねぇな」
「ええ、良い楽器なんですが」
「バカ、お前の腕が、だよ」
「……そういう君は、続けてるんですか?」
「サークルで、なんとなくな。暁は迷わずジャズ研だってさ。俺はオールラウンド系入って、なんでかしらないけどベース弾いてる。リックから借りた楽器で練習中」
「ああ、安藝月くん」
「やっぱあいつ凄い奴だったんだな。知ってるか? ベースって、そもそも基礎が超難しいんだぜ。一見地味だけど、その名の通り一曲通してバンドのベースを支え続けるんだ。相当体力ないとやってられなくて、最近じゃあ練習時間の半分は筋トレにあててる」
「それ、高校時代と変わらないじゃないですか」
「あれ? 確かに? おい、笑うなよ」
腹を抱えて笑う大和。思い出した。どんなときでも芯がある生真面目な大和の声は、心の底から笑う時にだけ破けるんだ。
やがて大和は、笑い疲れたのか目元を拭った。
「君を見ていると、ずっと青春の中にいるみたいですね」
「なんだよ、それ。まるで、お前は違うみたいじゃんか」
「どうでしょう」
「…………」
一瞬の沈黙。ほどなく、大和は観念したように口を開いた。
「実は、今回の帰省は縁談がらみなんです」
「縁談……結婚!? 早くね!? まだ学生だろ!?」
「あー、まだ全然そういう段階じゃないのでご安心を」
「ご安心って……」
「お見合いというか、許嫁というか……まあ、そういったお話がありまして」
「お見合いって、あのお見合い?」
「ええ。実際のところは、と、否定したい所ですが……おそらく、貴方が想像しているであろうものと大差なかったですよ」
俺の脳内には和装の大和が料亭の庭で女子の手を引く姿が浮かんでいた。アニメかよ、と言いたいところだが言い切れない、妙なリアリティがある。
「それで? 美人だった? 結婚するのか?」
「……どうでしょう。武宮の家としてはその方が良いんでしょうが」
「はぁ?」
「敷かれたレール、というじゃないですか。大人が勝手に、とか。家が勝手に、とか。けれど、そもそもレールを敷いてもらえるのがどれだけありがたいことか。それに、敷かれているレールは本当に見事で、正しくて、美しいんです」
「…………」
「今回の縁談だけじゃなく、あらゆることがそうなんです。武宮の家が僕を思ってしてくれる事に、僕自身が追いつかない。望んでもないものが目の前にある。けれど、それは僕が掴み取ったものじゃない」
「…………」
「つまらない話でしたね。それに、贅沢なことを言ってるのは分かってます。聞き流して下さい」
◇ ◇ ◇
思い出話だとか、お互いの近況だとか、くだらない話をしていると、あっという間に時間が経ってしまった。母さんからの呼び出しのLINEによると、なんと今日の夕飯は唐揚げらしい。ラッキー。
「今日は楽しかったです。またそのうち会いましょう」
「ああ」
さっと立ち上がり、スマートに去っていく大和。やっぱり大人だ。俺なんかとは違う。その背中に、格好悪く声をかける。
「おい」
「はい?」
「ジャズ、聴いてるか?」
「は?」
「暁と一緒にいるからさ、付き合いでたまに聴くんだよ。ま、正直、俺はいまいち分かんないんだけどさ」
「急に何を――」
「暁が言うんだよ。歴史や伝統は無視しちゃいけない。とても自分じゃ敵わないようなビッグネームが残してきたものにはすごく大きな価値がある。かといって、歴史や伝統に囚われて飲み込まれていくんじゃ意味がない。
無視するんじゃなくて、ちゃんと向き合った上で、乗っかるのか、抗うのかが問われてる。その中でどんどん新しいものが生まれていく、ジャズ自体が進化していく。それが楽しいんだって」
「…………」
「SwingCATSって、そういうのを楽しめるチームなんだろ?」
夕日の逆光。たかだか数歩の距離なのに、大和の表情は見えない。
「……僕は、まだSwingCATSなんですかね?」
「お前は今でもSwingCATSだし、俺とお前はゴールデンコンビだろ?」
高校生ならまだしも、大学生が言うにはこっ恥ずかしいセリフ。けれど……けれど、間違いなくこれは、俺の本心だ。時が流れれば人は変わっていく。いつか大学も卒業して、就職して、結婚して子供が生まれて、そんな中でいつか、大和のことを忘れてしまう日が来るのかもしれない。あるいは、懐かしい思い出にしまい込んでしまう日が来るのかもしれない。
でも、今じゃない。今はそんな明日を想像したくない。しなくていいじゃないか。いつか別れが来るからって、出会いを後悔しなくたって良いのと同じように、いつかバラバラになる俺たちは、それでも、ゴールデンコンビでいたって良いじゃないか。
「……蒼弥」
「おう」
「確かに。僕の相方は、君しかいませんでしたね」
「だろ? やっぱ、そうだよな〜! あ、そしたら、俺と結婚しちゃう?」
「身分が違うでしょう? 武宮の家に入るのなら、かなり高い教養が求められます」
「大丈夫大丈夫。俺、ベースもすぐに弾けるようになったし」
「――君ならどこにでも行けるし、何者にでもなれるのでしょうね」
「バカ。どこにも行かないよ。お前がどこかに行けるようになるまでな」
◇ ◇ ◇
「バカ。どこにも行かないよ。お前がどこかに行けるようになるまでな」
それは、僕が求めている言葉ではなかった。それ以上のものでさえあった。「どこにも行かない」――広い外の世界を知りながらも、無邪気にそう言ってしまえる。やはりそれは、ヒーローの言葉だ。救いだ。自己犠牲だ。
僕のワガママは、彼の翼をもいでしまう。僕のヒーローが、みんなのヒーローであることを、僕は邪魔したくない。
僕はもう、十分に救われた。
「それより、いいんですか、夕飯の時間でしょう?」
「やべ、めっちゃ着信入ってる!」
「まったく。……名残惜しいですが、続きはまた今度」
「おう! 次はサシ飲みだな!」
「無理に大学生しなくて良いんですよ」
手を振って去っていく春の日の夢。
同じ夢は二度とは見られない。
その背中が消えるまで、しっかりと目に焼き付けて、僕は僕の現実へと歩き出した。
〈了〉
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