奏斗、トランペット吹きの休日(JAZZ-ON!の二次創作)

 秋。吹奏楽部員には思い入れのある季節。中学から吹部でトランペットを吹いていた私にとってももちろん、その筈だったのだけれど……

「はぁーあ」

 10月末の日曜日。肌寒い季節の往来は寂しい。秋の心は愁い、とはよく言ったもので、溜め息などつきながら独り歩いてみると、心も体もすっかり乾いた空気に染まるようだ。

 インスタのフォロワーたちに教えてあげたい。背伸びして入った喫茶店で嗜む一杯500円のコーヒーとセットのベイクドチーズケーキよりも、木枯らしに吹かれて独り街をゆく、私の背中の方がよっぽどチルいぞ、と。

 テーマ曲は『ロマネスク』でどうだろう。スウェアリンジェンの『○○序曲』はだいたい全部同じ構成の勇壮な楽曲ばかりだけれど、終始ミドルテンポのこの曲は一味違う。他のスウェアリンジェン曲の中盤だけを切り出したような一曲は、肌寒い風に吹かれて道をゆく私のたくましさにぴったりハマる。

 あるいは『ムーン・リバー』。去年のちょうど今頃、学園祭でニュー・サウンズ・イン・ブラス版を演奏した。部長でありトランペットのパートリーダーだった私は冒頭のソロを担当、美しくも切ないメロディを吹き上げたのだった……ああ、思い出した。この曲は中盤のボサ・ノヴァ・パートを抜けると、アン女王のめくるめく恋物語を描いたアップテンポな展開に突入するのだ。

 恋愛……憧れてはみるものの、同級生の男子はガキばっかり。高校に上がれば何か変わるかと思ったけれど、いくつになっても男子は男子。放課後も土日も部活漬けの私にも、そんな余裕はなかった。夏休み明け、お揃いのキーホルダーを付けた男女ペアに圧倒されながらも、私は楽器に、音楽に、青春を捧げるのだと思いを新たに――

「ぅわぁっ」
「うおっ」

 不覚。物思いに耽るあまり、向かいからやってきた人とぶつかってしまった。

「すみません、大丈夫ですか?」
「いってー、なんだよお前マジで」

 早口で呟くような声。男性だ。けれど、大人の男性特有の匂い(そして、ガタイの良い同級生が発し始めたあの匂い)はしない。ぶつかった感じも心もとない。同年代か、年下か……

「ご、ごめんなさい」
「前見て歩けよな、ったく……ありえん……これだから中坊は……」

 スマホに目を落としたまま悪態をつく男。……確かに空想に耽っていたのは事実だけど、そこまで言われる筋合いはあるのか?

「ちょっと、そんな言い方ないんじゃないですか? それに、私、高校生です」
「はぁ? んなこたどうでも――」
「良くないです。それに、こんなときにもスマホばっかり見て。前見て歩いてなかったのはあなたもでしょ……って」

 相手の男が顔をあげる。その顔を見て、私は思わず口を開けて固まってしまった。雑に染められた金髪。眠たげな目。羨ましいくらい白い肌。

「……何? オレの顔に、なんかついてる?」
「氷室じゃん」
「え」
「私、私。ほら、同じクラスの」

 自分の顔を指差してアピールする。まるで半年ぶりに中学の同級生に会ったような仕草だけれど、氷室奏斗は今まさに同じクラスの男子だ。教室の隅っこに座って、いつもアニメ見たりゲームしたりラノベ読んだりしているオタクくん。
 氷室は訝しむように眉をひそめ、私のつま先から頭まで不躾に視線を這わせる。失礼なやつだ。やがて、氷室は何か納得したように一つ頷いた。

「うん、そっか。お前、同じクラスの女か。奇遇だな。じゃあ、また明日」
「ちょ、ちょっと待ってよ」
「何?」

 足早に立ち去ろうとする氷室。引き留めると、露骨に嫌そうな顔で振り返る。私は負けじと笑顔を作る。

「せっかく会ったんだし、ちょっと話さない?」

 街中で不意にクラスメートと出会ったのだ。何を期待しているわけでもないけれど、このまま別れるのはなんだか惜しい。

「だりぃよ。オレ、この後部活だし」
「部活って、パソコン部でしょ? 日曜に何するの?」
「星屑旅団はパソコン部じゃ……いや……まあ実際パソコン部か……? つか、この女、ナチュラルにパソコン部のことバカにしてね……?」
「ブツブツ言ってないで。ほら、行くよ」

 ◇ ◇ ◇

「バニラクリームフラペチーノのトールサイズ。チョコチップ追加で。バニラシロップをモカシロップに。後、チョコソースも追加してください」

 たまの休日だし、相手は氷室とはいえ男連れだし、ちょっと足を伸ばしてスタバなんぞに行ってみたり。運良く空いていた席を陣取って、商品を受け取ると、先に戻った氷室が苦い顔をしていた。

「失敗した」
「何頼んだの?」
「ブレンド。悪くねぇけど、良くもねぇ。スタバっていつも満席だし、もっと美味いと思ってた。そして熱い」

 両手の指先でカップを持ち、飲み口にフーフーと息を吹きかける。氷室は猫舌らしい。

「スタバ、初めて?」
「いや、2回目……? スタバ、高いから全然来ない」
「分かる。うちらも普段はマックとか」
「後は、先輩の実家が喫茶店やってるからそこ行ったり」
「え、良いなぁ、喫茶店。チェーン以外入ったこと無いかも」

 てっきり、私が一方的に話すことになるかと思っていたけれど、意外とキャッチボールが成立する。目線はずっと手元のコーヒーを見ているけれど、コミュニケーションを取る気が無いわけではないらしい。
 ……私は、会った時からずっと気になっていたことを聞いてみることにした。

「そのケース、トランペット?」
「……まあ、そうだけど」
「私、吹奏楽部なんだ」
「ふぅん」
「私もトランペット吹いてる」
「へぇ」

 途端に素っ気ない。普通、楽器の話なんて盛り上がって然るべき。だからこそ少々強引でもお茶に誘ったというのに、拍子抜けというか、期待はずれというか……なんだか、悔しい。

「中学の頃から吹いてるんだ」
「ふぅん」
「中学でなんとなく吹部の体験入部に行ったら、初めて持ったトランペットで、一発目からパーンって音が出たんだよね。すごいって先輩も褒めてくれて、すぐに入部して、それからずっと。私、才能あるんだなって。去年は部長までやったし」
「ほぉ」
「当然、高校でも吹部入るじゃん。それで入ってみたら、合併してレギュラーの倍率上がったとかでギスギスしてるし、派閥争いみたいになってるし。あんまり関わりたくなくて、とにかく練習だけ頑張ってたのに、急に思うように吹けなくなるし……」
「…………」
「こないだのコンクールも……本番の後、先輩も同期も泣いてたけど、正直ついてけないっていうか。みんなが一体感持ってる中で、私だけ冷めてて……なんか、私、このまま吹部にいて良いのかな。思うように吹けなくなった途端、本当に音楽好きだったのかも、ちょっと分かんなくなったっていうか……急に変な話ししてごめんね」
「お前、ちょっと顔見せてみろ」

 氷室は、言うが早いか、テーブル越しに身を乗り出す。嫌味なほど綺麗な二重が私の眼前に迫る。

「ちょ、ちょっとなにすんの――」
「騒ぐな。大人しくしろ」

 私の顔……特に、口元をじっくりと見る。正面から、真横から。座席からもうすっかり立ち上がるようにして、私の顔を覗き込む。
 不意に吐息を感じて、思わず息を止める。こんなに至近距離に人の顔が……氷室の目、いつも眠そうに半分閉じているけれど、意外と横幅がある。まつ毛も長いし、実はとても美人さんなのではないか……?

「なるほど、よく分かった」

 永遠にも思える緊張の時間が終わる。氷室は自分の席に深く腰掛けると、納得したように頷いて、告げた。

「お前、前歯出てんな」
「……なにそれ、悪口?」

 ……言うほど出てないし。

「ベルが下がりがちだとか言われてんだろ」
「え?」

 吹奏楽では、演奏はもとより、見た目の美しさもまた評価点の一つ。特に金管楽器では構えたときの楽器の高さが一列に揃っていることが一つの指標になる。私の演奏姿勢は、他の部員に比べて楽器が下がり気味で、ベルの位置が低い。最近指摘されて、直そうとしている所だったのだけれど……どうして氷室がそれを? 

「いいか。ペットのマッピって、上下が無いだろ。いい音を出すには、上下に均等に圧をかける必要があるんだ。だけど、唇や口の形は人それぞれ違う。お前は人より若干上の歯が出ている。だから、お前にとって一番良い吹き方をすると、ベルが少し下を向くんだよ」
「…………」
「どうせ、吹部でベルを上げろとかって言われたんだろ? そのまま楽器の角度を変えてベルを上にあげようとすると、上唇にマッピを押し当てることになって、アンブシュアが崩れて良い音が出ない。それでも音を出そうとして、全身が緊張して、不自然な姿勢になるから、体力も消耗する。お前のスランプは多分、それが原因だ」
「……でも、合奏でベルの高さを合わせられないと、周りにも迷惑が……」
「音だけで勝負しろ……って言いたいとこだけど。見た目も重要なのは分かる。オレだって同じ性能のSSRだったら見た目の格好いい方を編成する。そういう時は、こう」

 イーッと下顎を突き出してみせる。せっかくの美人が台無しだ。

「楽器吹く時、下顎ちょっと出してみるんだな。楽器だけあげるより全然マシになる」

 言い終わると、氷室はバツが悪そうにコーヒーを啜った。

「……ぬるい。ちょっと喋りすぎた」
「ありがとう……試してみる」
「あと、今日明日は演奏禁止な。ずっと無理してたから、きっと唇のコンディションは最悪だ。一日休めば大分良くなるし、ちゃんとした姿勢で吹くようになれば、もう、そう簡単に痛めない筈だから」
「うん」

 ◇ ◇ ◇

「やっべ。もうこんな時間じゃん。そろそろ行くわ」

 他愛もない話ばかり、意外と盛り上がってしまった。私も、もう帰ろうか……いや、個人練を禁止されてしまったので、帰った所で手持ち無沙汰だ。かくなる上は……

「ついて行っていい?」
「ハァ?」

 氷室は本当に心の底から嫌そうな顔を向ける。表情だけでここまで嫌悪感を表に出せるのは、一種の才能だと思う。私は負けじと笑顔を作る。

「部活って言ってたけど、楽器持ってるってことは、演奏しに行くんでしょ? 折角だから聴かせてよ。邪魔しないから」
「ハァ? マジ、コイツ、ホント、ダルゥ……」
「あ、分かった。あんなに偉そうにアドバイスしておいて、口だけ弁慶の下手くそだから聴かれたくないんでしょ?」

 席を立ち、背を向けた氷室の動きが止まる。

「……勝手についてくれば」

 私は心の中でガッツポーズをして、細い背中を追いかけて席を立った。

〈続く……と思います〉

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