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持ち運び可能なスキルとは?【ポータブルスキルを考える】
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もしも、「なんでこんな勉強しなきゃならないの?」
と思う学生の方がいて、
モチベーションが保てないという場合、
机に向かう以外の勉強もあるよ、ということを書きたいと思います。
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わたし自身、10代のころ、こんなことを思っていました。
「なんでこんなこと覚える必要があるのだろう?」
「意味なんてあるのだろうか?」
「何の役に立つのか?」
「なぜ揃いもそろって大人は勉強した方がいいと言うのか」などです。
学校で与えられた課題をこなしているとき、
あまりにも課題が多いと感じるとき、
机に向かう勉強が難しく感じられるとき、
似たようなことを感じる方もいるのではないのでしょうか。
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確かに、算数や数学が苦手だと、
1次関数や2次関数って、仕事に使うかな?
だとか指数関数って生活には使わないよ!
と感じることもあります。
そのような、概念や考え方がわからなくとも、
生きていくことはきっとできます。
なぜなら、使わないような仕事を選んだり、
運良く、たくさんのお金を手に入れることが、
できるかもしれないからです。
未来は、だれにもわかりません。
学校や塾の先生も知らないし、
保護者の方も、
お友達やお兄さんお姉さんにもわかりません。
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しかし、未来がわからないからこそ、
「備える」「学ぶ」ということも必要になってきます。
それは、なにも机に向かうことばかりではありません。
たとえば、「ひとりでごはんの準備をして、片付けまで出来る」
ようになることも、「学び」です。
30歳のおとなで、包丁を触ったことがない人もいます。
ごはんはいつも牛丼を買ってくる、
というひともいます。
そのような生活の仕方もありますが、
果たしてしばらく健康でいられるのでしょうか。
健康を守っていくためには、
最低限の栄養のこと、
ごはんの値段などを知っておく必要も出てきます。
それは、働けなくなったり、
勉強できなくなるリスクへ「備える」ことでもあります。
だれかに、やってもらう方法もあります。
お手伝いさんを雇ってお願いしたり、
結婚してパートナーがやってくれるかもしれません。
どうしても苦手でできないことを無理することはないと、
わたしは考えますが、
いちどは試してみても良いのかもしれません。
そうすることで、
やってもらえるありがたさもわかるからです。
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「モノ」はいつかなくなったり、
壊れたり、自分のもとを去っていきます。
それは、東日本大震災を経験したわたしだからこそ、
「確実なこと」としていえます。
だから、なにも買ってはいけないといっているのではありません。
いつか自分のもとを去っても、
また手に入れられるスキルを自分で持っておくとラクですよ、
ということをいいたいのです。
30歳、まだまだひよっこのわたしがこのようなことを書くのは、
おこがましい限りであります。
しかしながら、10代、20代を懸命にもがきながら過ごしている方に、
こんなメッセージがとどけばいいな、と思います。
最後に、わたしが10代のころに出会った言葉を贈ります。
”カタストロフ(破局)的な状況のときに持ち歩けるものは、
「頭の中につめ込んだ知識」と「身体化した技術」だけだからね。
自分に投資するなら「何があっても絶対になくならないもの」
に投資すべきなんだよ。
今あるシステムが瓦解したときにも使える資源の開発に、
若い時は努めないとね。”
経験や勉強が「役に立った」と分かるのは、
ずいぶんと後になってからです。
未来の「備え」として、
すこしでも知識や技術を身につける今日が送れますように。