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短編小説「自己愛の巣」#ピリカグランプリ”不”参加作品

 6面の鏡に囲まれたその小部屋は、ナルシシズムを加速させる装置だ。

 様々な衣装を着て、時に化粧をして、自らを鏡に映す。40になる男が何をやっているんだという羞恥心を超えた頃、ナルシシズム、つまり自己愛がくすぐられる。悪くないじゃないか。
 そこで現れるのが彼女だ。天井の無い小部屋の上から俺を見下ろす。芸術という概念が命を宿したような美しい姿を見て、積み上げてきた自己愛は崩れ去る。
 そこまでがこの店、『自己愛の巣』のシステムなのだ。


 最初は風俗店かと思った。歓楽街の端にある紫の看板。中に入ると芸術のように美しい女が迎えてくれた。

「ここは自己愛に浸って快楽を味わう場所です」

 風俗店ではないんです、と彼女が笑う。

 怪しいと思ったが、初回は体験無料というので店の奥に進む。想像よりも広い空間があった。
 フロアから少し見下げる場所に、天井の無い6角形の部屋が、蜂の巣のようにいくつも連なっている。いわゆるハニカム構造。部屋を仕切る壁は1mほど厚みがあり、その上を歩いて各部屋に向かうようだ。

「鏡の裏に衣装や小物、化粧品があります。それを使って美しくなる自分を鏡に映し、酔いしれる。それだけです」

 促されるままに部屋に入ろうとした時、彼女は思い出したように言った。

「1つ、クイズです。今日、この場所で最も自己愛が強いのは誰か。正解できたら今後も無料でご利用いただけます」


 自分にこんな嗜好があるとは知らなかった。俺はすぐに『自己愛の巣』にハマった。
 最初は海賊やパイロットのコスプレ、それからアイドル風の女装に手を出し始めたあたりから、羞恥心とナルシシズムが交互に加速し始めた。
 見たことも無い自分の姿。最初は気持ち悪いと感じるが、化粧をしたりウィッグを被ったりする内に、悪くないじゃないか、と思い始める。
 ポーズを取る。6面に映る自分が一斉に動く。

 時折、他の客が部屋の上を通り過ぎた。各部屋に行くにはどうしても他の部屋の上を通ることになる。天井が無いので、ポーズを取る自分の姿を見られる。
 最初は、なぜこんな構造なんだと羞恥で震えたが、途中から気づいた。美しくなっていく自分を見て欲しい。そんな気持ちが湧いてくる。この構造すらも自己愛を加速させる仕掛けなのだ。

 だが、自己愛が高まりきった頃だ。気配で顔をあげると、部屋の上に彼女がいた。「お楽しみ頂けていますか」と微笑みかけてくる彼女は、飾らずとも最初から芸術のようで、俺の自己愛は脆くも崩れ去った。中年男性がいくら着飾ろうが、ちっとも美しくなんてならない。彼女と比べれば。
 だが彼女が立ち去ったあと、俺はまた、自己愛を積み上げ始める。どうすれば少しでも彼女に近づけるのか。そう思いながら。

 それを何回も繰り返した。さっきより良いんじゃないか、そう思うたびに彼女が現れる。乱高下する自己愛がいつしか快楽に変わった。


 しばらくして、彼女のクイズを思い出した。
 最も自己愛が強いのは誰か。
 普通に考えると、鏡に映した自分を最も「美しい」と思っている客だ。実際に美しいかどうかは関係ない。自己陶酔に浸りきっている客こそが、クイズの答えだろう。

 もしかすると彼女は、それを見て回っているのだろうか。自分が現れても崩れないほどの自己愛を持った客が誰か。
 しかし俺には、他の客のことなど分からない。正解できるはずがない。

 いや、待てよ…本当にそうか?
 例えば答えが俺自身だとすれば。最も自己愛が強いのは自分だ、と言えるほどのナルシスト。実際、美しくなれた、と自分で思っている。もしかして。


「お帰りですか」

 彼女は出口の付近に立っていた。

「ええ、でもその前にクイズに答えていいですか?」
「ぜひお願いします」

 俺は一呼吸おいて答える。

「答えは、俺自身…と最初は思いました。でも違った。答えはあなただ」

 彼女の芸術が、抽象画のように少しだけ揺れる。

「そもそも、俺には他にどんな客が居るかすら分からない。唯一分かるのは俺自身だと思ったんです。でももう一人、認識できる人がいた」

 彼女は黙って俺の話を聞いている。

「あなたは、客と同じことをしていたんですね。あなたにとっての鏡は俺たち客だ。俺たちを見て、誰よりも高く自己愛を積み上げていた」
「よく…分かりましたね」

 想像になるが、芸術的に美しい彼女は、鏡を見ても、自分を美しいなんて思えなくなっていた。昨日も今日も完璧で、だから、それ以上にはなりえない。
 そんな彼女が自己愛に浸るための方法が、この場所だ。高まり切った客の自己愛が、自分を見て崩れていく。その様を見て、ああ自分は美しいのだ、とようやく認識できる。

「答えを俺自身と答えても、あなたは正解と言ったでしょう。ここは客が快楽を得る場所ではなく、あなたが快楽を得るための場所だから」
「驚きました。そこまで完璧に答えた人は初めてです」

 彼女は心底、感心したようだ。芸術的な美しさを湛えたまま、俺を称賛してくれる。こんな美しい女性に褒められるなんて、まんざらではない。

「そこまで分かっていても、ぜひ、またいらしてくださいね」

 そう言って店から送り出してくれた。

 すごいじゃないか。
 我ながら、よく答えにたどり着いたものだと思う。彼女も尊敬のまなざしで見ていた。今度店を訪れたら歓迎してくれるだろう。
 俺は鼻唄交じり、浮足立つ足取りで繁華街を歩きだした。

 そこで、ふと最初に言われた言葉が蘇る。

「ここは自己愛に浸って快楽を味わう場所です」

 自己愛は、見た目の美しさだけで高まるものじゃない。彼女のクイズに正解し、称賛の言葉を浴びて、俺の自己愛は高まりきっている。これすらも『自己愛の巣』の仕組みだったり…?

「いや、まさかな」

 そう呟きながら店の方を振り返ると、まるで美女から称賛されたかのように、浮足立った他の客が店から出てきた。

 その姿はまるで、俺の鏡映しのようで…。

(了)

2397字


 現在、絶賛ピリカグランプリの審査中なのですが、100作を超える「かがみ(鏡・鑑)」をテーマにした作品を読んでいると、「自分も鏡をテーマに書きたい!」という気持ちが沸々と…。もちろん審査をする身なので応募はできませんが、ちょっと書いてみました。

 テーマだけ拝借して、文字数はグランプリの2倍の2400字に設定。なので全く別物ですが、ピリカグランプリというお祭りの賑やかしとして楽しんで頂ければ!!

 現在、審査員は悩みながら選考を進めています。応募総数はなんと138作品!
 結果発表は7月16日になりますので、皆様、楽しみにお待ちください!!

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