ショートショート「トレース疑惑」(読了時間3分)
「誠に申し訳ありませんでした」
記者会見で彼は頭を下げながら、実際には怒りに震えていた。
彼はイラストレーターだった。しかしとあるツイッターでの指摘から彼の運命は大きく変わることになる。
「彼の作品は、他人の写真やイラストをトレースしたモノではないか」
彼が描いた一枚のイラストが、どこかの誰かが撮った写真と寸分たがわず構図が一致していたのだ。インターネットは大騒ぎになった。
他のイラストも色々な写真と比較され、類似性が指摘された。こじつけにしか思えないものもあったが、一度火がつくと止まらない。彼は今日、記者会見で頭を下げることになった。
パクリと認定された作品に対しては、元の写真の著作者から訴訟も起こされていた。
しかし実際のところ、彼は模倣などしたことはなく、ましてトレースなどあるわけがなかった。偶然の一致。それが彼の運命を変えた。最初の一枚以降は、半ばこじつけのような形で似ている画像を探し出されて模倣だと責められた。
最初のうちは当然否定していたが、家に石が投げ込まれるなど実害が出てきた。彼は事態の収拾を図るために頭を下げたのだ。
「くそっ!」
記者会見が終わり家に帰ってきたが、悔しさが収まらない。
加えて、模倣イラストレーターの汚名を着せられた彼は、今後どうやって生きていけば良いのかすら分からない。この歳までイラスト以外の仕事をしたことがない。訴訟もこれからあると言うのに。
そんな悔しさと絶望の中で、彼はあることを思い付いた。
待てよ。
本当に模倣していなくても、同じ構図の画像であれば、模倣として訴えることが出来るのか。今回自分がやられたように。確かに模倣していない証拠などあるわけがない。
彼はすぐ、知り合いの凄腕プログラマーに連絡した。そして計画を話す。
「いいか、3DCGで作ったキャラクターが、ほんの少しずつポーズを変えていくプログラムと、そのポーズを延々とイラストにしていくプログラムを作ってほしい。コンピューターの演算能力が続く限り、延々とだ」
彼の計画はこうだった。3DCGのキャラクターがほんの少しずつ違うポーズをとったイラスト画像を大量に生成し、それを自分の作品としてアップする。膨大な構図が自分の作品として生成されれば、今後、誰かが描いたイラストは、そのほとんどが自分の作品の模倣ということになる。
訴訟で勝てるかは知らないが、炎上したくなければ金を払え、とでも言えば金を取ることができるのではないか。
知り合いのプログラマーが作ったプログラムを、持っていた3台のパソコンで実行する。パソコンは24時間休むことなく、さまざまな構図のイラストを生成していった。
数ヶ月かかって、イラストの数は100億枚をゆうに超えるまでになった。おおよそ人間がとりうるほとんどのポーズが、数ミリごとの違いで何枚もアップされていった。
目星をつけた他人のイラストを100億枚の画像と照合し、全く同じ構図のイラストを探し出すプログラムも用意した。
さあ、世の中への仕返しだ!
そうして彼は、破産した。
膨大な数の模倣を指摘されるとともに、それに関連する訴訟で敗訴したのだ。
彼の作った100億枚の画像は、おおよそ人間がとりうるほとんどのポーズを網羅していた。つまり、「過去」に人物を描いたイラストや絵画、写真など、そのほとんどを模倣することになっていたのだ。
(了)
あとがき
最近、少しニュースになっているパクリ/トレース疑惑の話から思いついて書いてみました。僕個人としてはこれは結構難しい問題だな、と思っていて。
今回はイラストの例で現実的ではないと思いますが、例えば俳句。字余りなどを除けば、漢字はともかく、音としては17音の組み合わせって、現代のスーパーコンピューターなどを使えば全て計算することも出来るのではないかな、と考えたりもします。
50音、濁音や半濁音を入れても100音ぐらいでしょうか。その17乗が、字余りが無い状態で俳句として作れる最大数。
もちろん億や兆ではきかない膨大な数になると思いますが、それをスーパーコンピューターが全て生成してしまったとして、今後作られる俳句は全て模倣だと言われるのだろうか。そんなことを妄想します。
どこまでが模倣で、どこまでオマージュで、どこまでがオリジナルか。
小説も、全てがオリジナルなんてことはあり得なくて、これまで読んだ小説や物語、それを少しずつパクって再構築している作業かもしれません。
それは法律や他人の主観で裁けるものなのだろうか。なんて思ったりもします。