短編小説「1000年目の笑顔」(読了時間8分)「才の祭」参加作品
その年のクリスマス、サンタクロースからプレゼントをもらった子供はいなかった。世界中で、たったの一人も。それは1000年以上にもなるサンタクロースの歴史の中で初めてのことだった。
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「テレビの取材…ですか?」
「あぁ」
妻の問いかけに、サンタクロースは介護ベッドに横たわったまま応えた。
その体に昔のような恰幅の良さはなく、細い体に無数の皺が刻まれている。クリスマスイブの夜には、腹の部分にタオルを詰め込み、昔と同じ赤い衣装でプレゼントを配るのだ。
「ドキュメンタリーだそうだ。どこからか僕の居場所を突き止めたみたいでね。まぁ、最近はツイッターだなんだと、目撃されることも多かったから」
「でもアナタ、そんなことしたら…今年こそ倒れてしまいますよ」
妻は心配そうに眉をしかめる。椅子に腰掛け、足が冷えないようにしたブランケットの上で、リンゴを剥いている。
サンタクロースは、願った子供たち全員にプレゼントを配る。ただし、親からプレゼントをもらえない子供限定。親がプレゼントをしてくれる家庭は、親に任せている。
昔は、本当に子供全員に配っていたが、それは1000年も前の話。人口も少なく、社会がもっとシンプルだった時代の話だ。
ただ、様々な事情でプレゼントをもらえない子供には、今でもプレゼントを届けている。それでも世界中では何百万人にもなる。
「番組は、どんな撮影をするんです?」
「インタビューが中心みたいだ。僕の活動は再現VTRにでもなるだろうね」
「でもそんなことすると、サンタクロースにお願いする子供が一気に増えますよ。もしかしたら…悪くは考えたくないけれど、わざと子供にプレゼントを渡さなくなる親もいるかも。今でもこんなに大変なのに…」
一晩で数百万人の子供にプレゼントを配る。それは、サンタクロースにとっても簡単なことではなかった。
プレゼント配りから帰ってきた時には体はボロボロで、かろうじて意識があるかないか、というほど消耗している。妻が何とか担いでベッドに寝かせると、そのまま最低でも1週間は意識が戻らない。意識が戻った後も、しばらくは寝たきりの状態が続く。
それでも昔は、春になる頃には回復して、通常の生活に戻れていた。だが回復がだんだんと遅くなっている。今年は夏も終わったというのに、まだ介護ベッドでの生活が続いている。
「僕はサンタクロースだからね。忙しくなるかも知れないけど、親にプレゼントをもらえない子供たちが、一人でも多く笑顔を見せてくれるなら、それは良いことだよ」
妻は黙ったまま答えなかった。
「取材は1ヶ月後だそうだ。それまでにもうちょっと回復しておかないとな」
サンタクロースは、重そうに体を起こし、介護ベッドから立ち上がった。
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12月の初め、今日は例のテレビ番組の放映日だ。
サンタクロースは暖炉横の食卓で妻とシチューを食べながら、テレビのリモコンに手を伸ばした。
番組は、思った以上に好意的な内容だった。もしかしたら編集で、怪物でも扱うような内容になるのでは、と少し心配していただけにホッとした。
番組冒頭、世界各地に残っているサンタクロースにまつわる神話・伝説が紹介される。それを受けて司会者がVTRを振る。
「そんなサンタクロースが現代にも存在しているとしたら、あなたはどう思いますか?」
雰囲気を出すためだろう、わざわざ雪山で焚き火をしながら撮ったインタビューが流れる。この活動への想いを真剣に語った。今も昔もこれからも。子供の笑顔のためならどれだけでも頑張れる。
プレゼントを配り終わった後の消耗のことは、言わなかった。
予想通り、サンタクロースの活動の再現VTRなんかも挟みつつ、番組は進行する。
だが番組後半、予想もしなかった展開が待っていた。
「ええ、本当に、あの人の活動は素晴らしいことだと思っています」
画面に映っているのは妻だった。どこかの喫茶店で、コーヒーを飲みながらインタビューに答えている。
驚いて隣にいる妻を見ると、少し照れたような表情を見せた。
「ライフワーク、というのは少し違うのかも知れません。もっとこう、存在意義、なんて大袈裟かしら。でも望む望まないということではなく、ね。自分はサンタクロースだから、当然プレゼントを配る。鳥が空を飛ぶように、魚が泳ぐように。そこに山があるからだ、と仰った登山家の方も近いかも知れません」
画面の中の妻の表情は、にこやかでは無い。静かな落ち着いた表情が、悲しみにも見える。
「あの人、よく言うんです。子供の笑顔のために、ってね。でも本当はもう、一人一人の子供の顔を見ている余裕なんて無いんです、きっと。
昔はね、あんな子が居た、こんな子が居た、なんて楽しく喋ってくれていたのよ。でも今は無くなってしまった。クリスマスの当日も、最短で配るためのルートを確認しながら地図アプリと睨めっこ」
妻の言葉に、自分でもハッとする。そうだ、昔は一瞬ではあるけども、寝ている子供の顔を見て、嬉しい気持ちになっていた。熟睡している子の頭を撫でてから帰るなんてこともした。あれは何百年前だ?
「本当にね、素晴らしい活動なの。ずっと続いてきたことだし、サンタクロースに救われた子供がどれほどいるか。でもね、私は目の前の、すっかり細くなってしまったおじいさんが心配なのよ。
プレゼントを配り終わって、長い眠りについている間、今度こそ目を覚まさないんじゃ無いかって。毎年、そう思って一人で待っている。その時間の、なんて長いことでしょう」
なんてことだ。1000年以上も繰り返してきた中で、一人一人の子供をちゃんと見なくなっただけではない。ずっと隣にいてくれた大切な人のことさえ、ちゃんと見ていなかった。この1000年、クリスマスに妻が笑顔だったことなどあっただろうか。
繰り返しのイベントに妻も慣れ切っていると、サンタクロースは思っていた。違ったのだ。毎年毎年、祈るように自分を送り出し、帰ってきた自分が目を覚ますのを、孤独と不安の夜を超えながら待っていたのだ。
「こんなこと、ごめんなさいね。テレビで流すような事ではないないかも知れない。あの人にも怒られるかしらね」
テレビ画面の中の妻がゆっくりと話す。
「これは一人のおばあさんのワガママです。サンタクロースではなく、ただ、大切な人の妻としての。もし良かったらね、今年はサンタクロースの負担を少しでも軽くしてあげてくれないかしら。どなたも、目の前にいる子供にプレゼントを用意して欲しいの。もちろん色んな事情があると思う。でも子供たちもね、その子と真剣に向き合って、真剣に考えて用意されたプレゼントの方が嬉しいと思う。もちろんサンタクロースから届いたことにしてもいいし、今年はサンタクロースが忙しいから親からだよ、って渡してもいいんじゃ無いかしら」
サンタクロースは、黙って画面を見つめていた。妻は、優しい口調で、でもはっきりと言い切った。
「世界中の子供たちを笑顔にするなんて、誰か一人で出来る事じゃない。みんなが一人一人、近くにいる人を笑顔にしなきゃ。世界中の子供たちが笑顔になったらいいなと思うけれど…本当に思うけれど、それよりも私には、目の前のおじいさんが大切です」
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12月24日、サンタクロースは急いでいた。
テレビの反響は凄かった。放映直後は「本物のサンタクロースが居た」ことでSNSは大騒ぎだった。だがしばらく経つと、話題の中心は妻のインタビューになっていった。
もちろん最初は色々な意見があった。共感も反感も。でも「#サンタクロースを休ませたい」がバズり始めた頃から、一気に共感が優勢になった。
貧しいが今年だけは絶対にプレゼントを用意するという声、匿名での児童養護施設への寄付や、クラウドファウンディングによるプレゼント企画まで。それは世界中で大きなムーブメントとなっていった。
そして12月24日の朝。朝食を準備していた妻に、サンタクロースは泣きそうな表情で伝えた。
「さっき、今年プレゼントをもらえない子供を調べたんだ。信じられるかい、0人だ。誰もがサンタクロースじゃなく、その子のことを大切に思う、近くにいる人からプレゼントをもらえるんだ」
妻は少し驚いたような表情を見せた。
「これまで君に心配をかけていたことを、反省している。でも今年は、僕はプレゼントを用意しなくていい。これが一番いい形だ。笑顔にするのは僕じゃなくていい。君にも心配をかけない」
サンタクロースは笑顔でそう伝えたが、妻はすぐに答えず、「んー…」と少し間をとるような仕草をした。
「良かったわね、でも、本当にプレゼントを用意しなくていい? クリスマスは子供だけのものじゃないでしょう? 恋人たちの聖夜でもあるわ」
「確かにそうだが…そこまでサンタクロースがプレゼントを配るわけにもいかない」
「もちろんよ。サンタクロースじゃなくて、一人一人が、目の前にいる大切な人を笑顔にしなきゃ」
妻はそこで一呼吸おき、拗ねるように言った。
「で、アナタの目の前に、恋人からクリスマスプレゼントをもらったことがない女性がいるんですけれどね。1000年以上も」
その年のクリスマス、サンタクロースからプレゼントをもらった『子供』はいなかった。世界中で、たったの一人も。それは1000年以上にもなるサンタクロースの歴史の中で初めてのことだった。
今年、サンタクロースは一人の女性のためだけにプレゼントを用意した。ちょっといいワインと、美味しいチーズと、花束。
雪道を急ぐ。
妻はどんな表情をするだろう。
その角を曲がると、大切な人が待つ家が見えてくる。
(了)
PJさんの企画「才の祭」参加作品です!
お題は「2人の愛」「クリスマス」「プレゼント」