サングラスを始めたこととばあちゃんの色眼鏡の話

あれからと言うもの、日の光や色が全てちかちかするようになり、夜の自宅でさえ弱く電燈をつける生活になってしまった。
なにか策を講じなければ…と考えていたら出てきたのは実の祖母の姿だった。

うちのばあちゃん、光に弱い目をしてらしたらしく気づいた時には紫のレンズのとんぼのめがねと言われるやつをしていた(レンズが大きいやつ)。
ほとんど外すことがなく、うちのばあちゃんと言えば色眼鏡!と特徴として言えるような大きな眼鏡だった。
光に弱い目をしていると知ったのは中学か高校の頃だろうか、生まれて記憶があるころから何一つ見た目が変わらないばあちゃんを不思議に思って母に訪ねて知ったのだ。

うちは代々目が悪い家庭なのか、ばあちゃんの兄弟もじいちゃんの兄弟も眼鏡愛用、孫の私も眼鏡、いとこも眼鏡かコンタクトというレベルにみんな目が悪い。ばあちゃんは若い時から光に弱かったらしいが、遺伝関係の病気を一気に引き受けてる私は今発症してもおかしくなかったのかもしれない。

とりあえず百均でサングラスを購入したものの、凹凸が少なく「平安時代に生まれてたらモテていた」と高校の時の国語教師に言われるほどのっぺりした顔の私がかけると隙間から光が差し込んでくる。
それはそれは刺激が強く、後頭部に痛みが走った。
しかし、あるとないとでは大違いである。視界のほぼほぼが1トーン落ちて夕方みたいになっているが、これが目には心地いいのだ。
サングラスがなかったこの2週間くらいは目がちかちかとして、その度に激しい頭痛と吐き気に襲われていたことを考えると本当に違う。相談に乗ってくれたMちゃんありがとう。
あとはもう精神科の先生に相談をして、眼科に回していただいて、度入りのサングラスを作っていただこうという結論に今落ち着いている(乱視性近視なもので)。

いろんな作業がしづらくなるし、ブルーライトカットも入れないと多分だめだろうから眼鏡の金額が大変なことになるだろうとは予測がつく。
こうやって誰かにやられたことの代償は被害者が負担しなければならないのが悔しい。
請求するにも弁護士立てたりでお金が吹っ飛ぶのが日本だよねっていつも思っている。

バリアフリーだのなんだの言って、結局いいところだけ見せたくて、出すところでは強欲傲慢さを出して偏見押し付けてたらそれはバリアフリーでもなんでもないし、昔はこうだったっていう人も言うけれども今は令和で、人も社会も変化しないとなんにも進まないんだよね。
機械とかだけが発達しても、人が柔軟に対応するかどうかですべては変わると私は思う。

さて、今日は何をしよう。
今日はサングラスのおかげで少し気持ちが楽だ。


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