OGIRO Shingo

運命のいたずらで、タクシー乗務員を第2の人生に選び、人生に翻弄される男。 古きを愛し、新しきをも好む。利己的でない個人主義者のニヒリスト。基本的にアナログ。 食文化、歴史、伝統芸能、クラシック音楽を趣向し、愛する故郷から世界を眺める中年。

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運命のいたずらで、タクシー乗務員を第2の人生に選び、人生に翻弄される男。 古きを愛し、新しきをも好む。利己的でない個人主義者のニヒリスト。基本的にアナログ。 食文化、歴史、伝統芸能、クラシック音楽を趣向し、愛する故郷から世界を眺める中年。

最近の記事

パン生地に何かを混ぜ込む違和感

パン職人になって四半世紀。 日本のパンは、ガラパゴス化していることは理解している。 フランスのパンは、あの気候でないと美味しくないのも理解している。 ドイツのパンは、あの環境でないと美味しくないことも理解している。 一つだけ、日本のパンの困った特性をあげたい。 「どうして、なんでもパンに混ぜ込もうとする?」 まともなパンを作るだけでも、大変な繊細さを必要とするのに、そこに、色々なものを混ぜ込もうとする。特にハード系に多い。菓子パン系はそもそもそういって混ぜ込むのが前提なのでよ

    • 広島県三原市のじゃんけんスタイルについての一考察(FBからの転載)

      小島 信章さんの投稿から、三原のじゃんけんスタイルがおかしい。 私たちの子ども時代は、 (最初はグー、は、私たち世代は途中から) 1)じゃんけんぽん 2)あいこでしょ 3)じっしんけ 4)よーろっぱ 5)しつこいね のじゅんばんで、1)に戻る流れです。 これが、三原だけのもの、ということに疑問を持った 小島 信章さんが、投稿したのですが、私も疑問に思い、調査をはじめましたが、さっぱりわからない。特に3番目の「じっしんけ」が。 たしかに、グーグル先生に聞いて

      • 音楽を演奏することで得る「魔法の時間」

         私が意識的に音楽に接触することになった理由ははっきりしている。  中学校の音楽の時間に「スコアリーディング」を学んだことだ。お題はクラシックのベートヴェン、交響曲第5番。いまでも、中学生のつたない文字で書かれた「ソナタ形式」とか「展開部」とか「再現部」とか残っているスコア(総譜)を持っている。  本当は中学校の時に、吹奏楽部に入りたかった。  でも、その時同学年の男子は一人もおらず、思春期の私は吹奏楽部に入ることもなく、不完全燃焼でもやもやとした日々を過ごしていた。  

        • 「八の干潟について」

          「八の干潟について」 もう、我慢ならないので、自分なりの意見をいわせてもらいます。 広島県三原市のお隣の竹原市に、賀茂川が流れています。基本的に、瀬戸内ではそういった場合、砂がたまって扇状地になります。しかし、この加茂川の先には2つの島があったのです。ですから、その間を抜け、扇状地ができました。 その沖に「八」と呼ばれていた小島がありました。そこから、「八の干潟」と呼ばれるようになりました。 http://www.jawan.jp/ngo/hachi.html 今では、

          我が敬愛する木越先生の「ゴッシーが行く vol.1」を読んで、思ったこと

          良い縁がございまして、元NHK交響楽団の木越先生から、いろいろ学ぶ場面がありました。私はチェリストではなく、ラッパなので、楽器は違えど、練習の合奏中にポロっとおっしゃる「イメージ」が、とても音楽的なのです。 そして、まるでコンマスのように、合奏で合図をなさる。 だいたいそれに合わせていれば、こちらは安心して吹ける。 いつぞや、ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」をやったとき、本番中にアンサンブルが乱れたときも、木越先生を見てたちまちアンサンブルが立ち直ったくらい。 私の

          我が敬愛する木越先生の「ゴッシーが行く vol.1」を読んで、思ったこと

          緑色の薄手のティーカップ

           我が娘と仲良しで、近くの丘の上の小さな家に、母親と住んでいるという娘がいる。その子は、不思議なことに自分専用の緑色の薄手のティーカップを持ち歩いている。人様の食器を使うのは失礼だという理由で、彼女の母から持たされているらしい。  不思議な事を考える母親だなと感じていた。我が家のティーカップを使わないのは、特に失礼とは思わないが、それぞれの家に、それぞれの考え方があるのだろう。  彼女の住む家は、私の散歩道の近くであるが、さすがに丘の上までは行ったことがない。しかし、確か

          緑色の薄手のティーカップ

          失敗しないほうが、よっぽど怖い

           私は職人をしている。食べ物の職人である。  もう、それは「失敗の連続」であり、たまたま成功したことを上手に温めながら大きくしてゆくことが大事なのだと思う。  職人になって早20数年。数々の失敗をしてきた。それこそ、失敗だらけである。しょっぱい、焦がす、固すぎる、柔らかすぎる、形にならない・・・。  しかし、そこで学ぶことは大きい。なにより、失敗しそうになった時のリカバリーは、人よりもたくさん得ることができる。そして、失敗しそうになりそうな後輩の行動も、わざと放置してし

          失敗しないほうが、よっぽど怖い

          続「通貨というもの」

           江戸時代になり、社会が安定してきたおかげで、いろいろなインフラが整備できるようになってきた。交通、流通、そして、貨幣経済である。  とはいえ、経済の基本は「年貢米」であることは変わらなかった。  豊臣政権時に「検地」を行い、田の広さを基準に収穫量を予想し、それによって年貢を決定したのは、やはり「米」というものが経済単位として扱われていたということになるだろう。  では、他国ではどうだったのであろう?  西欧諸国の税制は、「麦」の収穫を中心に考えていたのか?  それは違う

          続「通貨というもの」

          「通貨」というもの

           昔々、縄文時代、我が国は狩猟と採集の食文化だったと思われます。  そして、弥生時代になり、稲作などの農耕文化が発達してゆき、食材の貯蓄ということができるようになりました。これが、実は「貧富の差」を生む原因になるとはその当時の人たちにはわからなかったでしょう。  食材貯蓄=財産と考えるならば、その量はすべての人には平等ではありません。たくさん取れる場所。そうでない場所。たくさん人がいる場所。そうでない場所。狩猟採集文化との接合。いろんな面が生じてきます。  基本的に物々

          「通貨」というもの

          わて、ほんまによいわんわ

          先日、とある場所に、予定より1時間早くついてしまったために、暇つぶしに、選挙公報に赤ペン入れてました。 広島県でね、補欠選挙じゃなくて、再選挙をするんですって。 なんかね、選挙対策費で、1億5千万円ばらまいたから、当選無効なんですって。で、再選挙。補欠じゃないよ。だって、当選無効だもん。 でね、6名の立候補者が出てきたの。 6人の候補者がいて、政党関係なしで、1名しか入れたい人がいない。 とある人は、30年後に人類は滅びると言い。 とある人は、前も「安里候補」と対決するた

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          好きでPTA会長をしているわけではない

           私は、娘の小学校のPTA会長をやっている。3年やって、3年休んで、今は2期目の2年目がはじまったところ。  世の中で、PTAっているの?めんどくさい!やりたくない!という声をよく聞くし、実際、保護者の方のPTA活動に対しての理解は低い。  私が1期目?3年間で行なったことは「徹底的に、無駄な行事を省力化する」ことだった。  PTAの目的はなんぞや?  答えられない人は、「面倒くさい、やりたくない、仕事と両立できない」などと、逃げる。  私にとって、一番不思議なのは、入学式

          好きでPTA会長をしているわけではない

          投票率の低下について嘆くべきか? 行政・議会について、市民の求めるコト

           近年、各選挙の投票率が下がっている。  これに対し、当事者である行政・議会側の理由とは「政治への無関心」を理由にすることが多い。有権者はこう言う。「誰に入れていいかわからない」、と。  投票率の低下について問題と思うかというと、私はそうは思わない。  行政・政治家は、本来、生活の「背骨」となる部分を守る仕事である。  今は、それがある程度機能しているので、それ以上を有権者は求めていない。求めていない有権者は投票も、市政も、選挙も、全く関心事では無いのである。  核家族

          投票率の低下について嘆くべきか? 行政・議会について、市民の求めるコト

          夜中のアルミキャンティーンでの1合炊飯

          夜中になにやってんだろう、と思いながら、1合飯炊き始めました。 ・コメ1合(洗浄米)研いだ米を冷蔵庫に保管してあるもの。土居義春先生のレシピです。神棚あれば神様もすぐ差し上げられるの便利m(_ _)m ・水 200グラム (翌220gと書いてあるのは、米が20g給水するからです。私の使っている洗浄米は、給水済みなので200g) ・ロスコのフタ(緊急時はアルミホイルでいい) ・アルミのキャンティーンカップ(取っ手はステンレス棒に改造)。鍋はなんでもいい。極端に言うとフラ

          夜中のアルミキャンティーンでの1合炊飯

          息子と「紙薪」をつくる

          新聞紙をびりびりにして、水に浸し、薪の代わりにするものがあるらしいと、ネット情報では知っていた。「紙薪」というらしい。 先日、我が家のシュレッダーが壊れ、新たにシュレッダーを買った際に、以前に作った「紙薪」のことを、息子が思い出したらしく「やろー、やろー」というので、再度チャレンジしてみた。 前回は、トイレットペーパーの芯に、細かくして濡らした新聞紙をつけてみたが、絞れない…。トイレットペーパーの芯も紙で、濡れて力が抜けている。とりあえず、ペタペタくっつけただけのような、

          息子と「紙薪」をつくる

          三原に一之輔師匠、来る!

          今日は午後から、ポポロで落語。 初めて、春風亭一之輔師匠の生落語を堪能しました。 このコロナ禍の中で、ずーっと開催中止を覚悟しながら、チケットだけ押させて本日を迎えましたが、無事に開催されて本当に良かった! やっぱり、落語は自腹切って、生が一番です! とはいえ、ホール落語しか経験がないので、いつか大阪か東京の寄席に行ってみたいけど、しばらくは無理・・・ですね。 あたくし、できれば、上手側の座席に座りたかったんですが、今回はチケットが取れず、下手側。まあ、まだ前のほうだから

          三原に一之輔師匠、来る!

          「少しだけ、三原市政の話」

          私は、生粋の三原生まれ三原育ち。三原を愛する48歳。食品関係、とくにパン作りを生業としている、無位無官のたんなる小さいパン屋の経営者。経済的に政治的な思想は、基本的に「個人主義、自由主義」。神の見えざる手を信じて生きています。 そして、日本風のリベラルではなく、ほんまもんのリベラリストとして、社会の一員として生きているつもりです。 ですから、基本的に、思想が違おうと、相手の意見は尊重するし、納得すれば同意して、応援します。なんたら党とか関係なしで。三原のため、広島県のため

          「少しだけ、三原市政の話」