N.Oのジンはお人形さんであることにN.Oと言っていたけど結局お人形さんなんだよね……この世は残酷ながらも美しいってワケ
タイトルからSUPER POEMをよんでしまったが、最近N.OのMVを見ることにハマっている。昔のMVを遡ると、「まだこんなものを隠していたとは……」という気持ちになる。過去の映像が宝の山すぎる。
というわけでN.O。バンタンは社会派の曲も歌うんだぞというソレですね。歌詞が非常に青くて良いです。社会に対するN.O、大人に対するN.O。
しかしジンはデビュー当初からハッピーだった。容姿が福でありすぎた。世の中にN.O、バカな大人にN.Oというには幸が濃すぎたと言えるだろう。愛し愛された子供の末路。それの具現化がキムソクジンであった。
そんなジンはN.OのMVでどんな様子を見せているのか。
……いい。
失礼、うっかり「……いい。」が出てしまいました。
愛し愛された子供、幸の具現化と先述したが、それ以外の側面もジンは持っていたと思わされる。そう、「シンプルに顔がめちゃくちゃキレイ」という側面である。
デビュー当初からジンは防彈少年團のビジュアル担当だった。当時から成人していたこともあり、確かに最初から今まで、ずっとその美しさは安定している。
しかし、まだデビューしたての頃のジンはどこか不安そうで、自分の容姿を褒める言葉をいちいち真摯に受け止めていたように見える。
※メンバーに褒められてもこんな感じ
いやかわいいですね。私の中のおっさんも「こういうのでいいんだよ」って言ってます。
この内面であるゆえに、実は美しさを全面に押し出すということに微かな照れがあったのではないかと思う。それは今でも持続している気がする。自ら先回りしてハンサムだと言うことで照れを回避しているのではないか?とすら思う。
彼が表情を作るとき、その微かな照れがフィルターとなる。その内面であるから愛されるのだが、照れが美に対しての微かな紗となる。
N.Oはその微かな紗が、「無表情」という表情を作ることによって取り払われている気がする。
もうただキレイじゃないですか。N.Oの歌詞は人形になるな!という事を言っているのにこれじゃ人形じゃないか!コラコラ〜!!って私の中のおっさんも言ってます。
私の中のおっさん基本的に語彙力ゼロですが今日はすげえ喋りますね。普段はうっひょ〜!とかエッッッッとかしか喋らないですからね。
まあそんなこんなでね。実はさっきまでのシーンはお人形だった自分のシーンなのでお人形なのは正しいんですよ。ここから殻を破って人間になってゆきます。ここらがBTSのJINの始まりってワケ。この2ピアスほんといいですよね。
ラップラインがブリンブリンしてて良い。やっぱラップはブリンブリンよ。私もラップするならブリンブリンしますからね。
おそらくオラァ!お前らそれでいいんか!反抗するぞ!と言い始めたのはラップラインというかナムジュンとユンギだと思いますが、想像以上にクオズが暴れていたので内心🐨💦💦💦🐱💦💦💦とか思っていたでしょう。急に絵文字に頼りだすな。
釜山と大邱出身は気が強い(喧嘩っ早い)とか聞きますが、バンタンって4/7がそこ出身なんだよなあ。どうすんのこれ。
ナムジュンはなんとなく神奈川出身感がありますね。川崎か湘南でしょう。ジンは千葉ではないでしょうか。でも千葉ロッテマリーンズのことは嫌ってそう。
あ、というわけで、N.Oのジンはキレイでした。それだけでいいんだよ。
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