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お花屋さんの店長がJIN?どっちがお花かな?

このツイート何言ってんだ?日本語でおkとかいういにしえの常套句を使いたくなってしまった。noteの新機能であるルビ振りをこんなどうでもいい場面で使うな。

しかし「何言ってんだ?」で済ますことはなんの成長にもならない。真面目に考えてみよう。

・お花を買いに行ったら←お花を買いに行った
・花屋の店長がJIN?←花屋の店長がJINだったみたいですね
・どっちがお花かな?←は?

まず「どっち」が何と何なのかを教えてくれよ。でもまあアレでしょ……「店長JIN」と「お花(お花)」のどっちがお花かな?という話であろう。アホかな。さすがに私でもわかる。答えは店長JINです。絶対それ言うやんと思われただろうが、当たり前のように言ってみた。

お花とはそもそもなんなのかというそもそも論になるが、「花」とは文字通り花であって植物の器官の一種であろう。生物学的呼称と言える。
しかし、「お花」となると、それはもう美しく華やかなものしか認められない。社会的に見目好いものしか「お花」ではないのである。美しく華やか……?それはもう店長JINです。

結論がついたところで、ここで改めて元ツイートの画像を見てみよう。

まったく韓国語が読めない。読めない上で文脈をたどると、「私」は「お花」を買おうとしている。お花とはこの場合店長JINなわけだが、最後の「オチ」の部分ではなんと店長JIN自ら自分を無料で差し上げているではないか。いくらなんでも無料はダメだろ。300億ウォンくらいは用意しないとダメだろ。なんなら300億ウォンでも安すぎるまである。石油王を呼んでくれ。

値付けが不当すぎるのでハイブ訴えたら勝てる?「この商品安すぎるんですけど!」と訴えられるハイブさんサイドもびっくりすると思う。

このツイートは「どっちが花かな?」という哲学的問いを投げかけ、うーんこれは店長JIN!と答えさせたあと、なんと無料です!と落とすことで、こちらに「罪悪感」を抱かせるという手法を取っている。わずか140文字、わずか4枚の画像でジンペンの「罪」を浮き彫りにしてしまった。反省してくださいよ。店長JINをお花とか言った人は。これは引っ掛けですよ。お花は店長JINじゃなく、お花だったんですよ。

でもJINお花じゃんな?花泥棒に罪はない。我々は許しを乞うべきではないか。ハイブに。MemoriesのBluRay買ったんで許してください!

お花じゃんな?

でも実際タダでお花をあげる店長はダメだと思うので、やめようね!顔だけで売上許してもらってそう。

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