BTSのジンさん、現代の技術では美しさがこぼれてしまう存在だった
こいつどうせこのこと書くだろと思われたかもしれないが、書く(強い意志)。行くわよっっっっ!!!!!
というわけで、ジンは現代科学ではまだ美が表すことが出来ない存在であることが判明しました。どうすんの?
うっかり100点が出てしまいました。100点でしかない。私のフォルダに入っていた写真を適当に貼っただけにも関わらず。
これでもまだジンの美は掬いきれていないということなのだろうか?本物はどうなってしまうんだ?
これはつまり
いや勝手に寄贈すなってことでね。すみません、嘘なんでルーブル美術館への問い合わせはやめてください。
ちなみにこのバカみたいな画像は、
これで作りました。わざわざ作ったんだ。
そういや数年前にドガのエトワールという絵(本物)を見たことがあります。
見たときはすげーーーーってなりましたね……思ったよりは小さかったんですけど、やっぱり名画ってすごいんですね。圧倒的な質量をもって語りかけてくるようでした。迸る作者の情熱が現代にも伝わってくるようでした。作者変態なんでしょうね。
この絵を見たのはドガ展だったので、エトワール以外にも展示がありましたが、あっ……(察し)って感じでした。そもそもこのエトワールも構図が普通はこうはならんですからね。「俺」を画面に入れるな。
当時のバレエというのは、パトロンなしには成り立たなかったと言います。舞台上のエトワール(花形スター)はカーテンに隠れたパトロンのために踊るのです。
あ、これは中野京子「怖い絵」で得た知識です!特に本題には関係なく、こういう知識もあるというところを見せたかっただけです!
エトワールの話が長くなってしまいましたが、こういう名画のように、ジンの実際は恐らく画面で見るより圧倒的な情報量をもって訴えてくるはずなのである。
どうしても画面越しというのは平面ですからね。しかも小さい。その中でカメラを作っているメーカーも撮影者であるカメラマンも、後に修正を行うであろうスタッフも苦心している。
そうして世に出るのがジンの写真であるはずなのだが、それでもまだ足りないと言う。一体本物はどれだけ美しいのだろうか。
椎名林檎も「絶対 美しいのは計れないの 溢れ出すから」と歌っている。椎名林檎はここでジンの美しさを予見していたとも言えるし、単純に美しいものは溢れ出すという一般論を語ったとも言える。
しかし、それを一般論とするにはジンの登場を待たなければならなかったわけで(そうなんだ)、その頃から語っていた椎名林檎はほぼガリレオ・ガリレイと言えるだろう。
そんな折に、この話にふさわしい記事がたまたま流れてきた。
「根本的な美しさ」……外国語の翻訳というのは、普段使わない語彙が現れて良いですね。根本的な美しさ……いいですね。すべてを内包している。
まず基礎ができている。美しい礎があってその上で薄い膜のようにJINというアイドルが張っている。素敵だね(RIKKI/2002発売)。
それはさておき記事のジンの写真かわいすぎますな!?(キモオタボイス)
いやー、そういうわけで、生のジン見たいよ😭となったお話ではありました。会うまでは想像力をたくましくして、美術館とか行くことにします!!!
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