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悲しい顔をしてパンを食べる人

メロンパンを食べているときは悲しい顔をしてはいけませんが、それに限らずパンを食べるときというのは悲しい顔はしてはいけないものだと思い直しております。

その人が何に悲しんでいるかなんて私には分かりようもありません。
きっととても悲しいことがあったのでしょう。

その眼差し、死んだから初めて近づくことが出来た小さな雀の、その羽の紋様の美しさと死骸とを間近で見つめる両の目なのか?


でもこの人パンを食べようとしている。


際限ない悲しみの色に満たされているはずのこころの淵に、キツネ色とバターの香りの感情が生まれたからそれに赴くままにパンを食べようとしている。

そしてそのままパン屋に入ってトレーとトングを流れるように取り、趣向を凝らして彩られたさまざまな美味しそうなパンを眺めはじめた。
彩られすぎていて一目(いちもく)ではそれがどんなものなのか分からないものだから、どういう具材が使われているのかを商品名を見て細かく確かめている。

そして
『ジャガイモたっぷりのオニオングラタンパン』
を、手に取った。
悲しみの淵に、パンである必要が無いほどに彩られた名前のパンを、手に取った。


これがいけないのですか?じゃあ逆に彩られていない食パンなら良いんですね。というわけでも実はない。
彩りを否定する形で選ばれた消去法的質素パンも決してそこから逃れられてはいないのだから。


その悲しみっぽい悲しみは、悲しむだけの資格を満たさない。
それはあなたもどこかで分かっているのだろう?   だから小腹が空いた空虚感をそれに融合させて出来損ないの悲しみを拵えているんだ。

もしくは、美味しいパンを食べたい気持ちに浸食されゆく程度の悲しみということ自体を、悲しんでいるのか。

それともまさかその眼差し、死んだから初めて近づくことが出来た小さな雀の、その羽の紋様の美しさと死骸とを間近で見つめる両の目なのか?


いずれにせよ、悲しみは終わりにしてから楽しそうにパンを食べようよ。


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