中村 ひで
10年ぶりに福岡の地へ。 子供の頃は毎年訪れていた思い出の地。 過去を想い出しながら、未来を想いたい。 そんな直感に従って福岡へ。 10年前の地を歩きながら、5年後を想う散歩道。 藍色の世界線に続く自分はなにを想うのか。 この旅が、もし5年後の自分だったら。 そんな事を考えながら歩いていく。 このマガジンは、旅行記ではなく、今の自分と5年後の自分を往来する随想録です。
あれから一年が経ちました。そして、あの時から2年が過ぎました。あの頃からは8年が経ち、その頃から10年が経ちました。 私は"何か"を探して、何度も何度も地球を回り続け、やがて月まで辿り着きました。そこはまんまるな月ではなく、三日月でした。 三日月の縁に一緒に座ってくれる人を探して待っているうちに、やがて新月になり、私は落っこちてしまいました。そこは地球のような、全く違う場所のような、しかし地球なのでした。 私には芯点がありません。過程とプロセスを愛して、結論を嫌い
明日の朝には 忘れちゃうような歌 久しぶりの友達は一目で僕に気付きませんでした。 深夜1時。ベッドの上。 毎晩、6/8を繰り返す。 music"リプレイ"Lucie,Too
あくびがうつるくらい そばにいたのに 僕の人生に切り離せないものが、言葉を綴るという事です。思えば小学4年生の頃。好きな漫画、好きな小説の真似をして、文章を書き始めました。何も考えず、ただそれがカッコ良いと思っていたのか、ただ母に見せたかっただけなのかもしれません。 良い文章なんて書けないし、世界観もなければ景色もありません。そこに物語性もなければ、完結すらしないのです。 けれど、僕はあれから16年書き続けました。何がそんなに楽しいのか僕にもわかりません。いわゆるライ
心地の良い眠気に対する探究は、とても心地よいのです。探究するほど、心地よい眠気に近づいていく。そのまま眠りに付くと、この心地良さは終わってしまうので、そのまま微睡のなかであなたとお話しするのが好きです。 海を眺めて、深海を夢想するのが好きです。海を眺めて、都会の灯りに隠れた星空を夢想するのが好きです。ここにいても、そこに行くことは叶わない。辿り着けないからこそ、安心して夢想出来る。ここにいて、見たいものを見たいように見ているから、それらは美しさを保ち続ける。 初めて、海
Leaving on that 7:30 train, 昨日からやけに穏やかで静かな時間を過ごし、今日は一日中夢を見ていました。比喩ではなく、本当に眠りについて、そして夢を見ました。 まるで、この夢を見るために、昨日からずっと静かで穏やかな眠気を感じていたのか。そう感じるほどに、とにかく遠くを眺めている二日間でした。 やがて、眠りから覚めてきて、そしてほとんど覚醒していても、僕は目を開かずにその夢を反芻していました。忘れないように、この夢を覚えていたくて。
壁のない部屋の窓から、朝日のような夕焼けを眺めるのが好きだった。新月の廻りを漂う三日月と満月を眺めていた。 私の明日は、昨日には終わるから、セカイの端っこと端っこを結んで円にして、そして明後日をこのままそっとしておこう。 眠い瞼の先から、ふわふわと柔らかいガラスを呼んで、コウモリの羽毛が空を舞うようにあっちこっち飛び廻らせて、部屋で星座を眺めたい。 ふっと雲を突き抜ける クラゲのように。 そこから何が見える? 問い掛けたのはそれだけだ。 私はあなたがいないと思って
名刺入れを買った。 ところで。名を刺すとは何なのか。どこに、はたまた誰に指してるのか。 名を名乗る事の無意味性の強まった世界で、わざわざ名を刺して歩く必要はあるのだろうか。僕はちょっとしたおふざけで、付き合った子にフルネームを1ヶ月くらい教えなかった。彼女は僕の名前の一部だけで、1ヶ月くらいいた。それでもずっと付き合っていたし、特に関係などなかった。 今はペンネームで書いているし、名を持つ事、名を付ける事は、特別な意味を持っている割には、かなり雑に扱ったりもする。
世界が割とグチャってきたところで、僕はずいぶんと落ち着いてしまった。いや、内面の所かなりゴロゴロしているのだけれど、無二の肩書を持つとそうなるのかもしれない。 僕は結構真面目だからね。
解ける。とける。ほどける。
「何してるんだろう」という感覚は、実は初日、というか飛行機乗る直前で既にあった。福岡着いた時もそうだ。なんで福岡来てんだ?何しに来たんだ?友達に対してする言い訳がましい理由ではなくて、何をしにここに来たんだろう。
旅路2日目の朝。ふと急に現実的な事を思えた。そもそも、今5年後だったら、僕は1人で来ているだろうか。もしかして、家に家族を残して来ているかもしれない。子供や奥さんがいるかもしれない。奥さんに土下座して、3日間一人旅に行きたいと懇願した果てに来ているのかもしれない。 いや、そもそも、一緒に来ている可能性の方が高い。5年も経てば、そんな風に世界が変わっていてもおかしくない。 結婚という世間の当たり前を覚えたら、無神経という幼さを失っていくのかもしれない。それは寂しい事だと、
5年後の自分が同じ旅に出ていたら、どこに行き、どう動き、どう考え、どう生きているだろうか。そんな事を考えながら、スマホも開かずじっと快速電車に揺られた。 まず思ったのは。そもそも、5年後の自分は福岡には行かない。福岡に行くとしたら、何か目的があるはず。仕事か、もしくは友達が結婚式するとか。こんな無目的に福岡には向かわない。
旅路の前の直感録。 半径5メートルの地図を描く
特定の人に色を感じる時がある。 その子達は、それこそ美しきプライドを軸に生きているから、選択する発色が単一になるのかもしれない。 ずっと藍色にしか気が付かなかったけれど、ここにきてあらゆる発色に気がつくようになった。どれも美しい。一番は藍色だけどね。
作品の宛名 最近の僕は、宛名のない表現をする事が出来なくなったみたいだ。ずっと自分に向けて表現や創作をしてきたけれど、ここに来てそれも終わった。だから少しの間創作から離れていたけれど、やっぱり15年も書き続けてたら辞められない。 じゃあ、自分の創作はどこに向かうんだろう。どこかからの帰り道、そんなことをぼんやり考えながら歩いていた。 「あぁそっか、君に向けて書くんだ」 思い返せばこの半年。ずっと誰かに向けて創る練習をしていた気がする。その時の自分には全身全霊死ぬ気