心身安全、生きる私を大事に。
新年あけましておめでとうございます。
2024年末に『はじめまして』を投稿したものの、それからまた腰が重くなってしまい(私の悪い癖)、今日になってしまいました。
でもマイペースにやるって決めてたからいいんです。プレッシャーをかけたら本質とは異なる意識で綴ってしまいそうだから。
先に書いておくけど、丁寧語にもなるし、友だちと喋るみたいな感じにもなるし、独り言のような語尾になったりもします。
簡単に結論を出せない性格だし(そもそも白黒つけることを好ましく思わない)、詰めが甘いし、誰でもない自分自身が心地よいと感じる文を綴りたいから。
ろくに勉強してこなかった学生時代だったので、難しい言葉は使えません。四字熟語とか、ふりがなを入れるような単語は格好がいいんだけどね。
漢字も苦手です。自信がないときはweblioとかで調べるけど、本当にあってるかなぁっていう感じで綴る日記です。正しくないとわかっていてもあえて使う言葉もあると思います。
ここまでは私の綴る文を理解してもらうための前提。ここからが日記。長いね前説…!
2024年末、29日から31日の午前中くらいまでは体調が悪くてほとんど寝て過ごしました。
沢山眠ったら動けるようになってきて、でも大事をとって元旦はお家でゆっくり過ごし、新たな年の幕開けの清々しさのおかげか、体調がすこぶる良くなったので、2日は川崎大師へ初詣に行きました。
ものすごく混んでいた。大師線に乗るところから、ぞろぞろ見知らぬ人々と足並みを合わせて、と言いたいところだけど、人混みの中で時間を潰すのは苦痛でしかないので、何としてでも12時の護摩祈祷に参列したく、多数の出店に気を取られている人の中をくぐり抜けて足早に事故らぬよう山門へ向かいました。
お正月期間は必ず入場規制がかかる。入口手前の道路で待たされる。
それでも我先にと行く人はいなくて、近くに並ぶ人と「すみません」と言いながらみんなで前に進んでいく。新年の清々しさは人間を健やかに穏やかにするのかもしれないね。
一人で来ている人はほとんどいなかったな。家族や恋人や友人と来ているような人ばかり。いいんです、私は一人でそういった人たちを見遣りながら自分がちゃんとここに立っていること、生きていることを感じていたいので(強がってないんだなこれが)。
無事に12時の護摩祈禱に参列でき、身上安全の護摩札をもらって、いつも通り住吉さんの葛餅を買って帰った(パッケージが変わっていて食べやすく美味しさは変わらずで翌日ペロリでした)。
自宅まで1時間半くらいの道のりだし、人混みはやはり疲れる、電車に乗ってからどっと疲れが襲ってきて、ウトウトしながら電車に揺られた。
お天気でよかったな、明るいうちに帰れてよかったなと思いながら心地よい疲れとともに帰宅。
予想はしてたが翌日は使いものにならないくらい体調が悪かった。
2025年初出社日は絶対に休みたくはないし、元気にみんなに挨拶したいから、ひたすらお家で静養。いっぱいお昼寝して、食べたいものを食べ読みたい本を読み、愛すべき芸人たちのYouTubeを見て過ごした。
年を重ねて体力やキャパが変わって昨年は戸惑いだらけだったけど、心身ともに限界がどこか、何をどうしたら回復するのか、やっと、やっと塩梅がつかめてきたんだよね。
若いんだか若くないんだか微妙な年齢なんだけど、だからこそ変化に弱いのかな。それとも私が未熟なまま数字だけ増やしてしまったのか。
気張りたいこと、気張るべきことはもちろんあるのだけれど、それは仕事でも生活の中にもあるから、どちらも気張るとどうやら私はダメなようで。
いわゆるアラフォーになってようやくそれに気が付いた。もう勢いだけでは生きていけない。そんなこと言ったら、私よりも年上の人たちに「何言っちゃってんの」と諭されるだろうか。
とにかく、誰も助けてくれないと思って(他人が冷たいとかそういう残酷な意味ではなく)、自分の心と体は自分でもどうなっちゃっているのかわからない時があるのだから、ダメになる前提で気張るのではなくて、私にちょうどいい頑張りを見せていきたい2025年です。
この間ね、歌手の阿部真央さんがスレッズで、
「優しさをもらうより愛をもらうより一番自分を満たすのは自分に対して心から素直に行動し、素直な気持ちを言葉にする時なんだなって思います。時にそれは辛かったり恥ずかしかったりしますが、素直な気持ちを口にして涙が止まらない時、心が『気付いてくれて嬉しい』って言っている気がしてならないです。」
と発言していて、今の私にはとても有り難い言葉だったんだよね。
私はもっと甘えたくて、自分を甘やかしたいし誰かに甘えたくて仕方ない、愛情不足な人間だってわかったから、出そうな気持ちや感情を我慢して呑み込んだり、言葉にするのをあきらめたりする癖を取っ払って、私が私を大切にしてあげたい。
それは体と心をセットで、いつでもセットで赤ん坊をおくるみに包むみたいにして、あなたの大事なものだよって唱えながら健やかに過ごしたい。
私は私の人生を生きているのだから。