パンツ一丁放浪記 #2.5
自分自身に哲学的な問いを突きつけられたり。
こちらに来て2週間。物理的には夜はパンツ一丁は風邪をひく、こじらせるくらいには冷える夜。
ちょいちょいアクションは起こしつつも、頭の中は色んな気持ちがグルグルと洗濯機のように規則正しく、でも変則的な渦を描いている。
これから、自分はどう生きるべきか
どの道を歩けば、自分の思うような道に進むのか
こんなことばかりが浮かんでは消えの繰り返しの日々。
それでも時間は流れていくわけだから、流されながら日々が過ぎていく。
でも、これは良い事なんじゃないか?と肯定的には捉えている。
今までは、そういう声が自分の心から流れてきても聞こえないフリ、もっと言えば黙殺していた。
どうしてだろうな、と思うと、それらを考えたり自問自答するよりも楽しい事があった(芝居漬けの日々)からのようにも思う。
でも、やっぱりその声は繰り返し繰り返し、波のように寄せては返しを何度も問いかけていた。
ただ、黙殺を決め込むにも、限界というか耐えきれなくなって、波も荒々しく冬の日本海に打ち付けて磯で砕け散るレベルの波にまで成長していた。
その荒波に飲まれ、その声に正面切って向かい合わなければならなくなっている。
だから、今はそういう今まで黙殺してきた気持ちの供養をしつつ、落ち着いて考えなければいけないと、頭の中身を一度全部出して、整理しながらここに書いている次第。
「比較」はしたくない理想、してしまうと言う、現実。
2週間、シェアハウスに住んで感じたのは「相手と比較すること」に対する自分の気持ちの理想と現実。
理想は「比較なんてしたって意味が無いから自分のやりたい道を見つけて進むなり、無いなら獣道でもいいから作りゃあ良いじゃないか」
と…かなり楽観的に見ていたが、甘かった。
現実は「あれ、仕事にせよ、好きなことにせよ、みんなゴリゴリに動いてる…動けてない俺はなんなんだろうか?道を模索してるとはいえ、なんだろうなぁ…」
と、ギャップと言うか、自分自身の不甲斐なさみたいなものを周りを見て感じて落ち込んでいるのが現状。
パンツ一丁で来たはいいけど、俺だけ浮いてない?
と、膝を地につけてガックシうなだれている。
もちろん、「よそはよそ、うちはうち」と言うひと昔前の母親の子供に対するテンプレートのような言葉は気持ちに刻んで刷り込ませてはいるが、それにしたって、思った以上に落ち込んでいる自分にも驚いている。
いくらなんでも荒療治すぎたなと、反省の弁。
確かに、周りに言っている通り、人付き合いが嫌になって人とほとんど触れ合わない職種を選んで、そこでも人付き合いは最小限に抑えた間違ったストイックさを発揮した1年半だったが……それをいきなり寝る以外の24時間を他人とひとつ屋根の下で暮らすなんて、第三者が聞いたら「いくらなんでも荒療治過ぎやしないか?」と神妙な顔と声のトーンで聞かれることは間違いないだろう。
それは、2週間暮らして、痛いほど実感している。
ひとり暮らしで感じていた孤独にも似た気持ちを味わっていたい、でも、誰かがいる安心感も…と贅沢言いやがってコノヤロウ!と自分に拳を振り上げたくなる。
しかし、である。
今はシェアハウスの「母屋」、いわばスタンバイルームにいる感じで、来週からは「離れ」、道を挟んで、家屋と倉庫だった場所を改装して部屋を用意して頂いたので、寝起きは離れ、食事や洗濯などは母屋と言う不思議なスタイルになる。
いわば、山(離れ)を下りて町(母屋)に出没する野生動物のような生活になる。
そうなると必然的に一人の時間は増える、増やせることにはなるが…と言うまた表裏一体の問題を抱えて考えてしまうような気もしてしまう。
いや、絶対に考えるな。
なので、とりあえず6月いっぱいは「充電期間」と思っておけば、ネガティブな気持ちでも許してやれるかと。
充電しつつも、アレがしたいコレがやってみたい、みたいなアイディアやネタはこねくり回しながらこのネガティブゾーンを抜け出したい。
梅雨時もあるから、なかなか外に出るのも億劫にはなるけれど、そこはプチ荒療治で情報収集で動き回らなければな。
あとは「息抜きの方法」も新しく見つけなければ。
と言うことで、ちょっとスッキリしたので広げたブルーシートを畳みながら整理した気持ちを頭へ再び放り込んでいこうか。
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