わたしのお盆はリメンバー・ミー
日本古来のお盆に懐疑的なので、毎年この時期に特に故人に対して何もしていません。
なぜなら牛や馬に見立ててきゅうりや茄子に足を生やしたところで父や祖父母や愛猫が戻ってくる気がしないからです。
もっと言うと、生前に牛や馬に乗っていたわけではない彼らに対してそれらを用意したところで乗り方もわからないだろう、とか、「お盆」という風習についての知識が全く無く、もしもやるとしたら徹底的に調べて「なぜ牛や馬に見立ててきゅうりや茄子を作るのか」「いつから始まったのか」などをちゃんと自分に落とし込んでからやらないと意味がないと思うし、儀式とはそういうものだと思うのです。
とかなんとか言ってますが、本当は今日この歳まで家でお盆というのをやったことがない自分に対しての言い訳かな?とも思いながら言っています。
とはいえ!
私にとっては、メキシコの「死者の日」はまさに「お盆」なのではないかと思うわけです。
父が生前、テキサスにいてメキシコとの音楽をやっていたからでしょう。
ディズニー・ピクサー作品「リメンバー・ミー」を観た時に、理由もなく涙が出たのはまさしくそれが私にとっての「お盆観」だったからです。
度々アメリカに音楽の旅をして帰ってくる父が、メキシコ雑貨をよく買ってきてくれました。
残念ながらもう今はどこかへ行ってしまったのですが、大きな羽根の生えたカラフルなネコの模型をもらって、大好きでずっと飾っていました。
その大きさは子どもの頃の私の両手より少し大きいくらい。つまり、とても小さいのですが、同じく好きだったプテラノドンの骨格模型と同様に空中に浮かして飾っていた私にとって、その羽根の生えたネコは私を乗せて空を飛ぶ不思議な生き物でした。
映画「リメンバー・ミー」に、そのネコが出てきたのです。
ああ、冒頭で「お盆について何も知らんからやらん」と言ってしまってすみませんでした。そのネコについてここでしっかり説明はできません。調べておきます。
ともかく、このお盆休みはギャラリーに3件携わるというハードスケジュールをこなしてきたのでごちゃごちゃ言う以前に故人を想う暇もなかったのですが
展示のための備品を探しに行った先のSeriaで出逢ってしまったのです……
そう、亡き父の愛した楽器、アコーディオンを弾くウサギに。
そして思い出したのですが、父は生前、行く先々でアコーディオンを持った動物の模型を見つけては買って集めていました。
今でも家のどこかにあるので、今度はそれを並べて写真を撮って記事を書こうと思います。
その中に、2023年のいま、このウサギたちが加わることになります。
奥にあるのは父が買ってきてくれたメキシコ雑貨。
マリア様の祭壇です。
ここでお盆の話につながりますが、うちの父の時にはいわゆる仏教方式での葬儀はやりませんでした。
母の意向でしたが、キリスト教の教会を借りて、お経の代わりに賛美歌をささげ、色とりどりの花々で送り出したのです。(前にも書いた通り葬儀前後は記憶が飛んでいるのでうろ覚えですが)
その理由が、父がアメリカ時代に作っていたマリア様の祭壇でした。
祭壇というか、たくさんマリア様をどこからか集めてきて、ロザリオなどと一緒に飾っている机がアメリカの家にはありました。
どういう理由でマリア様を集めていたのか、それは父が私に宛てた最期の手紙にあったように「贖罪」のつもりだったのか、今ではわかりません。
そういうのもあって、仏教由来のお盆(これ間違った知識だったらすみません)に私は懐疑的なのかもしれません。
というわけで、ギャラリーラッシュも終わった今、私なりのお盆をやってみています。
後ろには父の遺影(なんであるんだ?私にもわからない)と、葬儀に使った(のか?わからない)十字架があります。あと愛猫の骨壷もあります。もし怖かったらすみません。
愛猫はどこかのお寺に預けたいとは思っているのですが、寂しがり屋の猫だったので手元に置いておきたいな~と思ったままずっと一緒にいてもらっています。私のほうが寂しがり屋という話。
いつか「死者の日」を模して、ここ日本でメキシコ風のお盆をやってみたい。たくさんオレンジの花びらを撒いて、父や猫たちがそのオレンジの道を通ってこちらにやってきてほしい。
そんなことを書いていたら少し寂しくなってきたので今日はここで筆を置きます。
白いのは父で、金色のは私かもしくは「父の遺志を継いでアコーディオン奏者になる主人公」なのかな~とぼんやり思っています。
そろそろその小説を形にしないとですね。
8月ももう終わりなので、年内目標だとしたら書き始めなければ!