息を吐くように書く。そして呼吸を整える。
書く習慣1ヶ月チャレンジ、最終日。
「30日間書いてみて、気づいたこと」
書くことは息を吐くこと。
最後のテーマを見ていて、ふっ、と湧いてきた言葉です。
私は文章を読むのも書くのも好きです。
宮沢賢治が好きで、京極夏彦が好きで、槇原敬之が好きで、エヴァンゲリオンが好きで、ガンダムが好きで農業が好きな人です。
そういう好きなものを、ずっと、見たり聞いたり、頭に入れて耳に入れてきました。
でも、
これはこんなところが面白くてね!
ここが神でね!
ここをみてもらうとすぐにハマると思うんだけどさ………!
………っていうことをあんまり出したことがないんです。
自分の中に入れるよりも、圧倒的に少ないんです。
いろんなものを見て聞いて、
インプットしてインプットしてインプットして、
ちょこっと出して。
インプットしてインプットしてインプットして、
ちょこっと出して。
自分が感じたこと、思ったこと、おなかの中で感じたこと。
ほぼ外に出さないで、
誰かの話を聞いて、話を聞いて、要望を聞いて、周りに合わせて。
ちょっと主張して。
うん。うん。うん。うん。
あ、わたしは…………うん。
そうか。うん。そうだね。
自分の言葉を押し返して。
そうしているうちに、話し方が段々分からなくなりました。
人の目を気にしながら文章を書くようになりました。
たまに書いたときに、
「文章が面白いね」
と言ってくださる方もいて。
でも、私は、
だれかの褒め言葉を素直に受け取れない大人になっていて。
…もっと上手な人はいっぱいいるし。
…あの人の文章の人が面白いんだけどな。
自分の感情にアンテナが張れない人になっていました。
まだ会社勤めをしていたころ、ストレスがたまりにたまって、
社内で過呼吸を起こしてしまったことがありました。
うまく息が吸えない。
呼吸ができない。
手がしびれてくる。
視界がブラックアウトしてくる感覚。
勉強して、知識を蓄えて、一生懸命インプットしているのに上手くいかない。そんな状況が続くことがあり。
って言うのを思い返して、過呼吸の苦しさを思い出しました。
ちょっと大げさじゃない?と思われる方もいるかもしれません。
呼吸ができないつらさというのは、
自分の声を、自分の気持ちを押し殺すのと同じつらさなのではないかと思うのです。
30日間書いてみて、
多分、「書く」ことって、呼吸と同じくらい、
私にとっては大事なことなんだなと思ったんです。
書くことだったら今すぐできるから。
1つ1つのテーマについて書いていると、
こういうことをいろんな人に話したかったなぁとか、
もっと伝わるように書くにはどうしたら良いんだろうと思うようになり。
書くコトを続けていると、だんだん呼吸が整ってくるというか。
自分はこういうことが好きだったな。
こういうことで心が動くな。
自分を一つ一つ解放してあげる感覚です。
時には思いっきり吸ったことを思いっきり吐いてみたり、
時にはゆーっくり深呼吸してみたり、
インプットしてきたことを、テーマに沿って息を吐くように書いていくうちに、
書くことを楽しめていると感じるようになったのです。
言葉にするのはまだまだ時間がかかるし、頭の中にあるものをそのまま出してしまうと、何言ってんだか分からないところもあるので、
伝わる文章としてはまだまだ未熟だと思います。
見てる人は少ないかもしれない。共感する人も少ないかもしれない。
今はまだそれでいい。
まずは、書いてみる。
息を吐くように書いてみる。
見やすい文章とかじゃなくてもいい。
書くことをあきらめないで続ける。
そんなことを感じられた30日でございました。
おつきあいいただき、ありがとうございました。