わかっていても怒っちゃうんだよ。
書く習慣1ヶ月チャレンジ、8日目。
本日のテーマは「最近怒ったこと」
大人にできないことは子供にもできない
年長男児と小1男児の母を7年超やっております。
怒るなんて日常茶飯事すぎて、ついさっきも食事中に長男の姿勢が悪いと怒ったところです。
お仕度終わらせちゃいな!
ご飯の前におもちゃ片付けてよ!
ちょっと話聞いてるの!?
は毎日言っています。
毎日のように怒っては、次の瞬間に「あそこまで怒ることなかったな」と反省したものの、翌日同じことでまた怒り、「あれ、デジャブかな。」までが一連の流れです。
子供には何度も何度も同じことを言い聞かせる、と親野智可等さんの講演会で聞いたことがありました。その事がyahooの記事に載っていたので参考までに。
大人だって何回言ってもやらない人っていますよね。
そう言われると、だいたいパッと思い当たる人がいると思います。
靴下を裏返したまま洗濯かごにもいれない人とか、
道具を使いっぱなしで元の場所に戻さない人とか。
「もう、何でやってくれないのー」
とか
「こんな簡単なことなのにー」
とか文句の一つや二つは出てくるでしょう。
数十年生きている大人がそうなのですから、
生まれて数年で、社会とは何かを学び始めた子供ができる方が難しいのです。
やがて自分に来るもの
とは言うものの、やっぱり怒ってしまう毎日。
昨日は子供にというより、自分に怒りを覚えまして。
私が在宅で事務の仕事をパソコンでやっているときに長男が帰宅。
私の向かい側で宿題をやりながら、終わったら畑に“やえむぐら”を取りに行きたいと長男。
事務の仕事がなかなか終わらない私は、何度も話しかけてくる長男に手を止められ徐々にイライラしてきます。
どうしても行きたいと言う長男と、
仕事を終わらせたいので手を止めたくない私。
なかなか返事をしない私にイライラしてくる長男。
お互いがお互いの話を受け入れないので二人でイライラ。
最終的に声をあらげる長男に、
「今、仕事してるじゃん!」と怒りをぶちまけ、そして泣き出す長男。
その後長男は数分でけろっとしていましたが、
私はその怒りを自分に向けて引きずってしまい。
その後しばらく引きこもっておりました。
ちょっとぐらい話を聞くために手を止めてもよかったじゃん。
今日は行けなくても、他の提案をしてみたらよかったかも。
同じ場所で仕事するのがよくなかったな。
あれやこれやと自己嫌悪です。
「怒りは智慧にみちびかるべし」
宮沢賢治が親友の保阪嘉内に宛てた手紙のなかに、
『かなしみはちからに、欲(ほ)りはいつくしみに、いかりは智慧にみちびかるべし。』
という言葉があります。
ここで言う「智慧」は仏教用語で「気付き」のこと。
ただ怒って終わりではなく、そこでの様々な気付きを得ること。
なぜ怒ったのか。
怒ることで物事がどうなったのか。
相手の反応はどうか。
怒ったことを受け入れられるか。
あとあと残さないために消化できるか。
反省するのも、自己嫌悪するのもまた、そこでの気付きが得られるということで良しとしよう。
仏教的に言うと、怒りの出来事は、私たちに何かを気づかせるために起こっているのかも。
まぁ、だからといって、明日子供たちに怒らないでいられるかと言うと、
また同じことを繰り返すんですけどね。
ちなみに、
長男は私に注意されたり怒られたりした時にどう思っているかというと
「かおは泣いてないけど、こころは泣いてる」
のだそうです。
…胸の片隅に置いておきます。