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アクアリウム【ショートストーリー】

 もう怒りも悲しみも、喜びも何も感じなくなった。ただ生きているだけ。

 海に映る月のように、美しさと手に入れられぬ儚さを備えた姿。誰もがきっと一度は魅せられる。

 今日も仄暗い灯りに照らされ踊る。踊る。水の音がきこえる。泡が弾ける。揺らめく水槽はわたしだけの世界。

 抵抗しても足掻いても、どうしようもないし、状況だって何も変わらない。ゆらゆらと水の中を漂い、絶頂の後で絶望の淵に立つ。夜はいつまでも明けることはないけれど、底があると知っているから怖くない。心なんて疾うの昔に失くしているから、自分が傷つくことも、誰かを傷つけることもない。

 踊り疲れて動きを止めた。いや踊らされていたのだろう。脳の疲労を回復するために眠ると言うのならば、わたしにとって本来睡眠は必要ないものかもしれない。

 自分の意思ではない。ただ水の流れに身を任せるだけ。唯一持っている猛毒さえ、このままだと使わぬまま死んでいく。誰にも気ずかれないようにそっと。

 永遠の命?そんなものは望んでいない。わたしはわたしの一部を遺すことで、新たな生命が生まれるだけ。それでいい。綺麗に消えたい。誰にも邪魔をされずに。

 とは言え、考える脳も感じる心もわたしは持っていなかった。あなたに出会うまでは。

 叶うことのない泡沫の恋。あなたはわたしに心をくれた。わたしはあなたを愛している。

もしもあなたを救うことができるなら、わたしは喜び揺れるでしょう。
もしもあなたに愛する人ができたなら、わたしは喜び死んでいくでしょう。
もしもあなたが望むなら、わたしは惜しげもなく猛毒を使うでしょう。

 凍えながら二人、海に映る月を見た。叶わぬ夢を見て泣いた。それはまぼろし。水槽の中から遠いあなたを見て、もう一度泣いた。

 さよなら。もうすぐわたしは泡になって溶けていく。跡形もなく。

あなたに恋した、わたしはムーンジェリーフィッシュ。わたしのことを覚えていて。

 どうかどうか忘れないで。


文披31題Day4「アクアリウム」
お読みいただきありがとうございます。
Xより先にこちらで公開。
今日は仕事が休みだったので、内容が二転三転。
何とかDay4書き上げました。
プロットでは
水草が恋をするお話だったのですが…。
明日もよろしくお願いします。

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