息子よ、ツッコミを磨け
■5歳児。ツッコミの才能が発芽?
先日お風呂屋さんでばったり保育園の仲間に遭遇した息子(5歳)
お友達「お風呂で大暴れしてくるわ」
に対してすかさず
息子「お風呂で大暴れするなー」と。
彼と日々生活している我々にはわかる。
これは「注意」ではない。「ツッコミ」である。
最近彼は
「〇〇なんかーい!」だの「どっちやねーん!」だの「〇〇すぎるやろー」だの…まあ、何かにつけツッコミまくっている。
しかもツッコむ焦点も、タイミングもあっているので、なかなか面白い。
今朝は、お湯に少しだけ冷たい麦茶を入れて飲む母に対して
「って、薄~っ!」と。
「って」を入れるのが我が息子ながら流石である。あえて1回状況を認めた上で、気になる要素を指摘している。そのことにより、緩と急が生まれ、これは単なる指摘ではなく、エンタメなのだと見ている側にわかる。
おぬし、なかなかやるな…。
ツッコミのときだけなぜか関西弁になってしまうのは、僕に影響を受けているということなのであろう。
■私の受けた「英才教育」
僕の実家では「ツッコミ」のスキルを磨くのには最適だったと思う。とはいえそれは関西の家族に共通することかもしれない。
日曜日のお昼は漫才番組を見ていたし、日常会話でちょっとした小ボケは挟まないことのほうが少ない。テレビにツッコミを入れる父。覚え間違えがひどい母。ワンテンポずれている祖母。僕はふざけた人間でどちらかというとボケ要員。弟がもっぱらツッコミ係だった。家族5人で夕食を囲み、テレビを見たりおしゃべりしたり、僕はゲラ(笑い上戸)で呼吸困難になるくらいに笑い、よく父に叱られていた。
我が家の会話がスピーディーだということは、妻に言われて始めて気がついた。とにかくテンポが早く、相手が言ったことを理解し、返答を(できれば気の利いた返答を)しなければ会話する権利がないのである。
これはツッコミスキルを磨くにはうってつけの環境だった。
■「ツッコミ」に救われた学生時代
高校1年生のとき。田舎の中学から入った僕たちは、とにかく「いじられ」や「からかい」の対象にされやすかった。休み時間に、野球部の連中が教室のうしろに溜まり、僕は乱暴に呼ばれて、乱暴に扱われた。
言い返せば攻撃にあうかもしれない、それでも無視して受け容れ続けるのは苦しかった。あのまま受け容れ続けていればいつか爆発していたと思うし、暗い暗い高校生活になっていたと思う。
そこで僕を救ってくれたのは「ツッコミ」だった。
「~~のモノマネしろよ!」と言われて、
「いや急すぎるやろ。昨日言っといてくれたら家で練習してきたのに」と返すような、そんな単純なやりとりだった気がする。
そのとき大きな笑いが起きた。からかいではない笑い。自分の存在を認めてもらえた感覚があった。受け容れない、でも、攻撃もされない。「気の利いた返し」をすれば、対等になることができると実感した。そこから毎日のように、気の利いた返しを繰り出し、ときには僕の手の上で転がしているように思えるときもあった。
15年以上経つが、この処世術がいつも居場所をつくってくれた。初対面の人が多い場では萎縮してしまう僕。ツッコミの能力の便利なところは、受け身なのに自分の評価を高めてくれることだ。なんか頭の回転が速いヤツっぽいイメージを付与してくれる。
「合気道」みたいなことだ。…「合気道」みたいなことか?
■息子よ
何が起きるかわからない時代だ。
理不尽な人間にもたくさん出会うだろう。
そんなヤツにはユーモアのあるツッコミをお見舞いしてやれ。
自分の心を守るためにも。
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