留保せずに即応すべきもの
子どもは全て守られるべきであるとか
困っている人がいたらできる限り手を差し伸べるとか
歯を磨くとか
本を丁寧に扱うとか
なんかそういう「善い」こととされている行為って自動的にしちゃえばいいのかもなと最近思っている。下手に判断しようとするから悩むのであって「子どもはどれほど憎たらしいこと言おうとも守られるべき!」とか「眠くても歯は磨く絶対!」とか脳を通さず行動に移せるようにしたら、自我とコンフリクトしなくてその分悩まなくていいのでしょうな。できたらの話だけど。あとそれで言うと「善い」の価値観がアプデされない危険性があるよね。
ほんとうに嫌いなエッセイストの人がいて、読めば読むほど「ちっ、こいつ自分がかわいいと思ってやがるぜ」とか「かわいがられて当然てのが文章から滲み出てるぜ」とか思うんだけど、それでも読んでんだから世話ないよな。アンチほど作品の愛好家というのは言いえて妙であるし、私の作品にもアンチがつかないかなあと思っている。大衆が見るものになってほしいわけじゃなくて、なんというか悪意というものを向けられる様を遠くから眺めたい時あるでしょ。ない?
脱線したけどこの人のエッセイを読むたびに思うのは自分の繊細さの欠如についてで、俺には春夏秋冬の機微とか仕事してる自分が嫌いとか丁寧な暮らしへの反発とかはなくて、あるのはただ「あちぃ!」「さみぃ!」「だりぃ!」「ねみぃ!」の掘り下げようのない第一感想ばっかであり、そりゃわしが書くエッセイなんぞ面白くもないわね、と思う。エッセイを書くのに不可欠な自己愛は具備してると思うんだけど。ぐびぐび。
風邪を引いたけど同人誌の締め切りは来週なので今から頑張ります。