僕を知る人はいない

 自分の正体なんて、人に明かせる訳が無い。人には有利に聞こえる偽善と嘘から垣間見える本当を混ぜて、心に這い寄り手の甲に備えた鉄の棘を見せない様に撫でる。友人にせよ愛人にせよ、そうやって人を魅せ人を扱い、良き賽の目として扱う。時折人を貶し、時折人を愛でる。そうして自分自身も偶に傷付いて、半歩寄ってきた心の距離を半歩引いて自分にしか見えない線引きをする。気付いているのに知らぬフリをし、分かっているのに初耳の聞き方をして、そうやってそうやって、ずっとずっと距離を置いてきた。本当の様な嘘と嘘を混ぜ込んだ本当を自分の中で組み立てて、相手を信用させて騙してここまで来た。記憶量を頼りに人との関係性は殆ど覚えている。たまにズレた発言をしたとしても、その時の考えを言い訳に相手に納得をさせる発言をしてやり過ごしている。いつか、いつの日かバレてしまうかもしれない。それも全部。それでも僕は、反省などしないだろう。全ては自分に好都合になる様に動く為だ。今日だってそうだ。偽善で騙して愛を得る。内に秘めた自分を抑えて、人を騙して信頼を得る。

 「ねえ秀哉、晩ご飯何食べたいとかある?」

 「なんでも良いかな。夢花は?」

 「うーん、じゃあ三色丼で」

 「好きだね、それ」

 「味がねー、なんか好きなの」

 「そっか。家にストックあった?」

 「いや、無かったはず。買ってこー」

 サトウユメカ、僕の彼女。二つ上だが内面は二つ下の様な雰囲気。緩い所に安堵を感じて、適当な程に話して、適当な言い訳をして、それから付き合う様になった。僕の肩位の背丈で、日本的には平均身長らしい。言い方としては気持ち悪いが、端的に言えば五年後にはニシダユメカになっているのかもしれない。

 三色丼、サトウユメカの好きな食べ物の一つである。挽肉と卵でそぼろを作り、グリーンピースと一緒にご飯の上に乗せたもの。確かに挽肉のそぼろは冷凍保存ができ、簡単なのに美味しい為に重宝はするが、週二程で食べている為に飽きてきそうになる。ただ、彼女曰く「だって美味しいじゃん」、との事。家に無い卵とグリーンピース、それからお茶を買って帰る。

 正直、サトウユメカは誠実な人間である。アルバイトも真面目にしており、就職先もしっかりと決まっている。単位数も足りていて、後は何事も無く卒業だけである。あと五ヶ月、サトウユメカが学生で居られる時間だ。しかし彼女は、甘えでは無くとも、僕の前ではこの様に緩く溶けている。黒い僕は果たして、この人と付き合っていても良いのだろうか。

 「もしもーし、シューヤさーん?聞いてますー?」

 「あ、ああ、ごめん。どうしたの?」

 「もう、最近秀哉、自分の世界に入りまくってるよね。なんか悩みでもあるの?私が聞いてあげよっか?」

 「いや、良いんだ。ごめんね。それで?」

 「ほんとに良いの?最近表情暗いよ?大丈夫だって、私は変わらずあの部屋から出勤だから、居なくならないってば」

 「うん、大丈夫」

 「そう?なら良いんだけどさ。それでねー、」

 気付かずにまた話し始める。自分の内を話した事など一度も無いのだ、それはそうだ。さっきは自分の思考を強くしてしまった為にそう思われてしまったが、心配されるのもバレるのも嫌だ、考えるのは後にしよう。適当に相槌をついて、その場をやり過ごす。

 家に着いた。手洗いうがいしっかりして、晩ご飯の準備を始める。タイマー通りに炊けたご飯と、買ってきた卵をそぼろにし、グリーンピースと挽肉のそぼろはレンジで温め、僅か五分で完成。早いものだ。ささっと食べて、僕が皿洗いをしている間にサトウユメカが先にシャワーをする。慣れたものだ、脱いだ下着も、最初は抵抗があったが、次第に慣れた。「いつも通り」を完成させた、サトウユメカと僕による功績は大きい。表だけの形では無い、信頼はしているしされている。そう、ただ僕は内面を知られていない、知られたく無いだけなのだ。そう、罪悪感すらも人に知られたくない。それを解決するには、罪悪感を感じなければ良い、一種の逃避方法である。正直、母親に心配されるのが嫌だ。元はと言えば、母親からの強い愛情の護りが苦手意識に繋がったんだと思う。だが過保護、とは言いたくないのが正直な所ではある。幼い頃に父親と離婚し、母の手一つで育てられた。きっとそれは二倍の愛情で、きっとこれは二乗の感情なのだろう。だから母親には感謝している。感謝と苦手意識は共存できるものだと思う。現に僕がこうして証明しているんだ、誰にも文句は言えまい。ただ、それを自分の中で大きく広げたのはどうしようも無い程間違っていた。弱い心は弱める感情に滅法弱く、またそれに感化されていくのだ。僕は弱い。どうしようも無い程に弱い。だからこそ受け入れず、閉ざすしか無かったのだ。

 「秀哉、入っていいよー」

 湿った髪、パジャマを着て、ドライヤーを持ちながらサトウユメカはそう僕に言う。

 「うん、分かったよ」

 シャワーの時間は悪くない。一人になれる時間の一つである。でも風呂はそんなに好きじゃない。なんだか時間の無駄に感じてしまう。これ位の事なら言える。何も、全部が全部知られたくないって訳では無い。別に体に全てを窮屈に詰め込んでいる訳では無い。ただ、心の内を知られるのが怖くて嫌なだけなんだ。だから僕は泣かない。感情を出さない理由があっても、涙を出す理由が無いんだ、それだけの事。心の内だけは、見られたく無いんだ。さっと体まで洗った所で、もう良いかとシャワーから出る。

 いつも通り、二人で歯を磨いて、二人で寝る前のゲームをして、その時間だった。

 「ねえ、秀哉ってさ、将来私と結婚とかしたいの?」

 「急だね。なんで?」

 「もう、お互いそれくらいの歳でしょ?別に仲悪いとか全く無いしこのまま二人でいるのかなーって」

 「そっか、そうだね。いつになるか分かんないけど、近い将来、そうなるかもね」

 サトウユメカは顔を赤くしたりなどしなかった。そうなるんだろうなと、現実を見ているのだろう。希望はあっても、恥ずかしさの一匙無かったのだろう。

 「あ、もうこんな時間だ。秀哉、明日早かったよね?もう寝よっか」

 「うん」

 サトウユメカはどこにも行けない僕を引っ張ってくれる存在だった。自己嫌悪と他人への拒否を重ねて、いつしか自分ではどうにも動かせない足枷を作っていた。それを砕いてくれるかの如く、彼女は僕へ歩み寄ってきた。それが久々に感じた心地良さなのか、手を引っ張ってくれる感じがした。もしかしたら最初から、僕よりサトウユメカの方が一枚、いや何枚も上手だったのかもしれない。そんな僕は壁際に、その隣にサトウユメカが寝て、布団を被る。

 寝ている時間は好きだ。何も考えなくて良い。サトウユメカを両手で覆い、僕はまた眠りに落ちる。こうしている時間は、匂いと体とその体温が、全て溶かしてくれる気がするんだ。

 「もう、甘えん坊さんなんだから」

 「ごめんね、良いでしょ。寒くなってきたし」

 本当は、何も考えたく無いだけなんだけどね。そんな僕を、知る人はいない。

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