泡沫の夢、夜の一夢

 私、いつもは最寄りの駅から徒歩三分で着く「エブリシング」っていうカフェでバイトをしてます。いつもは木土日の週三で仕事していますが、今日は店長さんに初めての夜勤をやって欲しいと言われました。カフェなのに夜勤?とは思いましたが、とりあえずはいと言っておきました。
 電車を降りると、広場にはハロウィンカラーの装飾がそこら辺に展示されていました。やっぱりかぼちゃのくり抜きは可愛いですね。言われた通り午後八時、仕事先へ着きました。普段通り裏口から入って着替えをします。すぐに店長がこちらへ来ました。
 「おお来たね、こんばんは」
 「こんばんは、なんで今日夜遅くにあるんですか?」
 「今日はハロウィンでしょ?毎年うちには色々なお客様が来るんだよ」
 「色々...?」
 「そう、色々。そうだ、いつもの名前は使えないから、新しく決めようか」
 「なんでですか?」
 「たまに名前を取られてしまう人がいるからさ」
 「ひえー、それは大変ですね。それじゃあ秋だけど『なつ』でお願いします」
 店長さんがもうそろ冬だよ?って笑いながら新しい名札に『なつ』と書くと、私にフレームの少し太い丸眼鏡と一緒にくれました。それにしても、名前を取られるって一体なんでしょう。
 「今日はそれをかけて接客してね。それもそのうち分かるから」
 貰った眼鏡を掛けてみます。何が起きているのでしょう、席の方ががやがやと騒がしくなってきました。店の裏と繋がるカーテンの隙間から覗いてみると、色々な方々がお店の中にいました。黄色く光るぷわぷわとしたお客様やアニメや漫画の世界によく居そうな骨だけのお客様など、本当に色々でした。眼鏡を外すと何も見えません。でも眼鏡を伝ってがやがやとしているのは聞こえます。面白い眼鏡です。でもよく分かんないので一応店長さんに聞いてみます。
 「店長さん、ここにお客様って本当にいるんですか?」
 「もちろん、それが本当の景色だよ、今日だけのね。明日もう一度その眼鏡をかけたらどうか分かるからね」
 「うーん、それで今日は何をすればいいんですか?」
 「いつも通りの接客でいいよ、頑張ってね」
 ちょっと疑心暗鬼ながらも店長の言う通りにします。
 最初に呼んできたお客様は、水色と黄緑と橙、それに紫の四名のいかさんでした。
 《!!Ust2IkAyOkAt Ot Ust4Us-UjIzNErO》
 とてももちもちとした見た目と声で可愛かったですが、何を言ってるか全く分からないので、足でメニュー表を指してもらいました。急いで作って運んであげるとはふはふしながら美味しそうに食べていました。
 次のお客様は三人の河童さんでした。彼らの内の一人がこう言いました。
 《.OmAytO OtErOs NAk9OwIkAmAppAk》
 本当に何を言ってるのか分かりません。メニュー表にも書いてなくて困っていたら店長さんが河童さんの頼んでいたものを運んできてくれました。なんで分かるんだろう。
 《.OzUOd UsEdIkAmAppAk ArItOk》
 マジでなんで話せるんだろう、今度教えてもらおうかな。
 最後のお客様はピンクと紫のドレスを着た魔女さんでした。
 「コーヒーを頂けるかしら?」
 普通に喋ってくれた、なんなんだ。いつも通りに受け応えをしてコーヒーを入れたカップを運びます。
 「お客様、失礼ですが今日はどこからいらっしゃったのですか?」
 「魔女の国よ。今度あなたもおいでなさい。ところであなた、名前は?」
 「あっ、」
 言いかけた。言ってない、ちゃんと踏みとどまった。めっちゃさらっと聞いてくるじゃん。
 「『なつ』です」
 「なつちゃんね、ありがとう。お代、ここに置いておくわね」
 「はーい、またどうぞ〜」
 魔女さんは会釈をすると、魔法でパッと消えてしまいました。ふいに窓の外を覗くと更に多くの色々な方々が練り歩いていました。駅前ではパレードをしていて、意識を外へ向けると、ハープやティンパニに似た音、それに乗せた綺麗な歌声が聴こえてきて、ここはまるで夢世界かと。眼鏡越しに映る世界は、それはそれは綺麗でした。楽しい時間が過ぎるのは早くて、午前三時、夜勤はあと一時間で終わりです。お皿洗いをしてると店長さんが話しかけてきました。
 「もう少しで終わってしまうからね、一緒に外へ行こうか」
 十一月の風は暖かく、踊り、歌い、幸せでした。ああ、この時間がずっと続けばいいのに。夜を締めるべく上がった特大の花火は、温もりという言葉が一番似合っていたのかもしれません。
 「さあ、帰ろうか」
 「店長さん、私、幸せでした」
 「また、来年ね」
 カフェに戻るといつもの景色でした。照明には暖かな色、色の濃い木で作られた椅子はベージュの壁との組み合わせが良くて、テーブルの上のコーヒーカップやスイーツの載っていた皿はそのままでいました。
 「それじゃ、片付けようか」
 「...はい。なんか、寂しいですね」
 「祭の後はいつもそうだよね。そうだ、ラジオでも付けようか」
 ジリジリと音を立て、やがて聞こえ始めたのは、私も知ってるBPM83で流れる八年前の曲で、ちょっぴり私を悲しくさせたけど、その分なんだか安心しました。
 「今日はありがとね、なつちゃん」
 「なつちゃん?私『春』ですけど、誰かと勘違いしてません?」
 「ああ、そうか。『春』ちゃんだったか、ごめんごめん。はいこれ、今日の分の給料ね」
 「ああ、ありがとうございます。なんか多くないですか?」
 「夜勤だからね。まあ、今日はゆっくり休んで、起きたらご飯しっかりと食べてね」
 一万円を受け取ると、頑張った感が湧いてきて少し嬉しくなりました。
 「それじゃ、お疲れ様。気をつけて帰るんだよ」
 ありがとうございますと言って、裏口から表へ出ると、昨日と同じままの風景でした。掛けていた眼鏡を外すと、十一月の風が冷たかったです。冬の始まり、とある一日の終わりでした。また、来年ね。

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