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(日常で思うこと)物を持つ責任

できるだけ物を持たない生活を送ってきた。
一人暮らしをしていた時期は、ベッドもテーブルもテレビさえも持たなかった。

物を持つとそれらを設置・処分する責任が生まれてきて、どうしてもそれが煩わしかったし、負担に感じていた。

でも、家族を“もった”今はそんなこともいっていられなくなった。

妻も元々家に物を置きたがらない性格だが、毎日食事を作るために必要な大型冷蔵庫やオーブン機能付きの電子レンジ、汚れた息子の服を不安になるぐらいに高速で回すドラム式洗濯機。

生活に必要な多くのものが自宅に設置されている。

これらが機能するとき、何かしらの音を立てている。それほど広くない家なので玄関のドアを開けた瞬間、何らかの音が響いている。

それぞれの存在を主張する生活音。

僕は普段、テレワークでも近所のサテライトオフィスに行き、ほぼ自宅で仕事をしない。

子どもがPCにイタズラしたり、自室ではwifiや携帯電波が届きにくかったりするのもあるが、生活のために設置された物、そこから発する音とは、ほどほどの距離を置きたかった。

在宅の時間が多くなったためかSNSでは、いわゆる“巣ごもり時間”を楽しんでいる様子が観られる。

「料理道具を充実させたので、色んな種類のピザを生地から作ってみました!」「BBQセットを買ってお庭で楽しんでま~す」

なんて楽しそうな文面が家族の画像と共に投稿されている。
何か自分もやらなきゃいけないような焦燥に駆られる。

この前、あることがきっかけでビールサーバーを貰った。
いつもは缶のまま飲んで、ゴミ箱に捨てる。

お酒を“楽しむ”より“消費している”行為に近いが、これを使えば“巣ごもり時間”に消極的な自分でも、少しは生活に充実感を味わえるのではないかな…

最初、貰ったときは「どこに置こう」や「洗うのめんどくさい」としか思わなかったが、実際にやってみると結構楽しい。

「ニューノーマル(新しい生活様式)」なんて、私生活ではあまり実感しない日々を送ってきたが、これがあれば俺はSNS上で楽しそうにしている友人達の仲間入りができるのではないか…

なんてことを考える。

でも、この金と黒を基調としたビールサーバーは高さも幅もあり、それなりの存在感がある。

ビールは週末にしか飲まないし…

平日、トマトジュースを飲みながらキッチンに置かれている“ソレ”を眺め
「邪魔だ…」
と、自分の物に対する煩わしさを感じる悪いクセが出てきてしまう。

視界に入ると、どうしてもそんなことを考えてしまうので、平日は箱にしまってクローゼットの中に入れている。
週末は取り出し、使って、洗って、平日は収納。

この面倒な行為が、いつまで続くか分からない。
つくづく僕は「巣ごもり時間」を楽しめないのだと思った。

追伸:後日これをとあるSNSに上げたら、
「本当に邪魔だね」
「私に頂戴」
「そうだよ。いらないのならあげなさいよ」
というコメントがありました。

どういう意図で書いているか分かりかねるが、誰かにプレゼントするとしても、こういうコメントを記載する人間には、なんとなく渡したくないなあ…と思ってしまう。心が狭いです。


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アメミヤ
リアルだけど、どこか物語のような文章。一方で経営者を中心としたインタビュー•店舗や商品紹介の記事も生業として書いています。ライター・脚本家としての経験あります。少しでも「いいな」と思ってくださったは、お声がけいただければ幸いです。