見出し画像

【日常で思うこと】めでたくもない

年の暮れが近づくと、どうしても憂鬱な気分になる。
仕事納めで、軽やかに帰宅する同僚。
「いつ帰ってくるの?」と催促する母親。
大みそかには紅白を観て、年が明けると雑煮を準備する妻。
初詣でにぎわう人々。

毎年同じことの繰り返し。

この年末から新年にかけての空気が、どうしようもなく苦手だ。早く日常に戻ってほしいと思ってしまう。この時期は特有の誰かに動かされているような感覚がして、窮屈に感じてしまう。
ショッピングモールやスーパーマーケットでは、決まって「春の海」のような曲をバックに、購買意欲を刺激するアナウンスが響く。
正月飾りやお神酒、餅を用意しろと促し、冷凍の和牛やズワイガニは三割増の値段で陳列棚に並ぶ。
「新年は家族団らんで」「プレミアムなビールでお祝い」「家も身体もキレイにして新年を迎えよう」――そんなメッセージが押し寄せてくる。
それが強制ではないと分かっている。それでも、自分の行動を押し付けられているように感じてしまう。紅白歌合戦や初売りのCM。郵便ポストに投入されたチラシ、オーナーズクラブの年賀状。「祝え、祝え」と無言の圧力。

そんな中で、ぼくはできるだけ普段と変わらないルーティンを保とうとしている。仕事前のトレーニング、決まったメニューの朝昼兼用の食事、小説の執筆、2杯のコーヒーと読書。
家族の顔色をうかがいながら、自分のペースをなるべく崩さないようにしている。

年末年始が苦手だと言うと「新しい年を迎えられることを感謝しなさい」といった真っ当な意見が出てくる。不幸な誰かと比較して「お前は恵まれているからそんな贅沢なことが言えるんだ」と。

テンプレート化された価値観。まるで正月の空気感を可視化したような人間。

自分が恵まれているのは分かっている。
明日、災害に遭って大切な人を失うかもしれない。
重い病気が見つかり、余命がわずかだと宣告されるかもしれない。
わかっているつもりだ。当たり前だと思っていた日常が突然失われる日が、いずれ来るのだと。

それでも、日常に感謝するのは年末年始でなくてもいいと思ってしまう。
この苦手意識を無理に克服するつもりもない。
ぼくはただ、この年末から三が日が過ぎ去るのを、静かに待っている。


いいなと思ったら応援しよう!

アメミヤ
リアルだけど、どこか物語のような文章。一方で経営者を中心としたインタビュー•店舗や商品紹介の記事も生業として書いています。ライター・脚本家としての経験あります。少しでも「いいな」と思ってくださったは、お声がけいただければ幸いです。