あめます舎日記#7 すべてつながっている
2024年6月9日
今日は、「せたがや杜の楽校」の活動とおでかけひろばの休日開室、明日から「杜のアトリエ」を開けてみる、という日で、夕刻には長女次女孫たちとゴハンを食べるというビッグディになっています。
が、それぞれを動かすリーダーは私ではないので気は楽です。いればよい感じ?
地域懇談会に行ってきた
地域の児童館が主催してくれる「地域懇談会」に2日続けて出席してきました。私がPTA活動にいそしんでいた20年くらい前は、「協議会」がムーブメントだったのか?「学校協議会」だとか「せたがや水辺の楽校協議会」だとかいろいろあって、とにかくいろいろ会合に出席していました。今思えば、そのおかげでずっと街とつながっているような気がするのかも。近隣の小学校では「PTA」というものがなくなり(それは私がいわゆるPTA活動をしている時にも起こっていた現象)でも、呼び名を変えて活動を続けている方もいらっしゃる。
わらしべ長者なのか
今の時代、子どもたちを育てたり、学校に通わせたり、何かを体験させたりということには、どうしてもお金が必要。私は今は一人で暮らしていますが、次女が大学に通い始めて19歳になった時までは結婚していました。アトリエをはじめたのも、NPOを作ったのも、自分のやりたいこと、やれることから、そう遠くないことでなんとか資金を得て暮らして行きたいと思ったから。ただ、それがうまくいっているのかもわからないし、たまたま両親のもとに産まれて、時代の流れの中で父が起業して大学まで出してくれて、以後もたまたまの流れとめぐりあいでしかなく、次女には「ママってなんだかわらしべ長者みたいだよね」と言われました。とにかく暮らしには今、困っていなくて、幸せなんだから、当たっているのかもしれないな。
苗字を変えなかった
結婚解消した時に、苗字は選んでよいことになっていたので、私は、結婚していた時の「村上」姓を選びました。ちょうど父母と同じ苗字で25年、村上姓で25年、娘たちと同じ苗字の方がいいや、と思ったのと、結婚した時に苗字を変えた後の手続きやら、なんやらのめんどくささをもう一回やるのは絶対に嫌だし、もはや私の能力では無理なんでは?と思ったのもあったし、苗字にあまり思い入れがなかったのもあるかな。もちろん、苗字がどうこうで、誰かに対する愛情とか、つながりが変化する、ということは全くないかなと思っています。結婚してるとかしていないとか、そういうの関係なく、みんな好きな名前を名乗れるようになったらいいなあ、と思います。
あいさつ運動を思いだした
さて、地域懇談会のテーマとして「顔のみえる繋がり」みたいなことがあがっていました。
私は、地方で戦時中に子どもだった両親のもとに産まれ、高度成長期に公団住宅で育ち、父が脱サラ(脱サラリーマン、今で言う起業)」して、東京の大学に進学させてくれ、雇用機会均等法の施行2年目、バブル期に総合職でサラリーマンを経験、結婚出産で主婦になりました。
マンション生活で、すぐに子どもを授かって怒涛のような今で言う「ワンオペ」生活の中、転勤を経験(単身赴任?も考えましたが、とにかく実家は遠いし、次女は6か月だったので「ついて」行きました)。そんな「主婦」の私に社会、街とのつながりを作ってくれたのは、「子ども」でした。子どもたちを育てることで私は、社会とのつながりを持つことができたと思います。
つづく
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?