あめます舎日記#9 8月がくるたびに
2024年8月6日(火)8:15 黙とう
ただ、ひたすら、毎日楽しく笑って生きていられたらいいな、と思っています。
子どものころの8月6日、九州大分県大分市。夏休み中の登校日でした。6年間毎年毎年。8月6日にはたぶん蝉が鳴いていて、40分歩いて学校に行きました。そして「ヒロシマに原爆が落とされた」日の話を聞いたり、「ああ、ゆるすまじ原爆を、三たび許すまじ原爆を、われらの街へ」と歌ったりしていました。
おおえひでさんの「八月がくるたびに」は何年生か忘れたけど「課題図書」になっていて、感想文を書きました。
大学進学を機に東京に来ました。友人に8月6日が登校日でなかった人たちがたくさんいて、びっくりしました。自分の「当たり前」は決してあたりまえなんかじゃないんだ、と思いました。いろいろ聞いてみると、静岡県より西(大井川より西?)はヒロシマ原爆忌が夏休み中の登校日だったようでした。
長女は、幼稚園年中から、小学校3年生まで大阪府にいましたので、登校日がありました。登校して何をしていたのかは、よくわからないけれど、たぶん黙とうをして、原爆の悲惨さを聞き、学んでいたのではないかと思います。
影絵の夕べ
全部のことは突然、偶然に来て、なんとなくつながって、今は、あきらかに、「このことは続けたい」と思ってやっています。
はじまりは、ほんとうに偶然の出会いでした。10年以上前になります。当時、世田谷区のサンサンサポートという仕事をしていて、伺ったおうちの方とお話ししているうちに「影絵紙芝居」を上演するお手伝いをすることになり、浜崎ゆう子さんの「影絵」に出逢ったのです。
それは確か2012年くらいで、それは私が、なんとなく世田谷区の公園(当時の瀬田四丁目広場)の利活用検討ワークショップ(現利活用検討会議)のお手伝いを始めたころでもありました。
瀬田四丁目広場(現在は瀬田四丁目旧小坂緑地)は、世田谷区の有形文化財旧小坂家住宅という、とても素敵な古民家を持っていて、そこをもっと活用できないか、という行政からのよびかけに、地域住民として、このステキな場を暮らしの中に取り入れられたらいいな、という想いで参加していたことです。
「せたぼん・瀬田の本棚」という読み語りグループをはじめたころのホームページ
そこで、子どもたちが小学生のころに活動していた読み聞かせグループの仲間を集めて、定期的に読み聞かせ(今は読み語りと言っていますが)をやるグループを作った私は、このステキな「影絵」を、ぜひ、上演したいと思い提案しました。
読み聞かせグループだけでなく、ピアノやバイオリンを弾ける仲間にも声をかけ、「影絵の夕べ実行委員会」みたいなものを作りました。
どうしたら観にきてもらえるかな、と思って、影絵作りワークショップや、オマケの夜の昆虫観察会も企画しました。
その上演を始めて2年目、2013年の2月に浜崎さんが「ヒロシマの母」という作品を作られました。
原爆詩人と言われる大平数子さんの詩を元に作られた影絵紙芝居は、透き通るように美しく、そして限りなく哀しいのです。私は、今、この作品を読ませてもらっているのですが、毎回、練習で読んでいる時から泣けてしまって、ほんとうに女優にはなれないな、と思います。
(「禎子と千羽鶴」というヒロシマで被爆した女の子の話を中学校で上演した時に最後に号泣してしまい「あ、女優にはやっぱりなれない」と思ったことを思いだします。私の学生時代は学生演劇の全盛期?で、演劇にも興味があったのですが・・結局観る専門。「禎子と千羽鶴」も、瀬田四丁目旧小坂緑地で上演してきたので、また紹介したいです)
ヒロシマ、ナガサキに原爆が落とされてから79年。どうして、原爆も戦争もなくならないのでしょう。ガザにもウクライナにも毎日爆弾が落とされ、たくさんの人が亡くなっていきます。今、この瞬間も。落とされる爆弾が原爆でなかったとしても、人殺しが正当化されていること自体がよくわからないし、「国家の利益」になっているとも思えません。
戦争で幸せになれる人がいるのでしょうか。
いつからだか忘れたけど、この浜崎さんの影絵を借りて、毎年「海の日」に瀬田四丁目旧小坂緑地旧小坂邸で上演することにしました。影絵を読むために集まる仲間たちだけでも、「ヒロシマの母」を忘れないように。そして、毎年上演することで、誰かに何かが残るかもしれないし、「ヒロシマの母」をただそこで暮らしている住民が「公共空間」で上演できる、ということをあたりまえにやっていきたいから。
そうしたからといって、原爆も戦争もなくならないとは思うのだけど、子どもたちや親御さんが幾人か観てくださって、私たちの想いをきいてくださることは、大切にしたいと思うのです。
小学校の修学旅行は、長崎でした。
8月9日11時2分には、また、黙とうです。
最後になってしまいましたが、この影絵紙芝居を無料で貸してくださっている浜崎ゆう子さんと、その管理と発送をボランティアでやってくださっているMさんに感謝いたします。ありがとうございます。これからもよろしくお願いいたします。
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