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あめます舎日記#10        2025年1月6日(日)になってしまった

昨年(2024年)の1月にnoteを書こう、と、はじめて、ほんとは日記のように書こうと思っていたのに、そうそううまくはいかないものです。
だんだん、ひと月に1回くらい頑張って書こう、と思っていたのに、ついには4か月、書かずに過ぎてしまいました。

12月ごろに、お友達が実家で手に入れたという渋柿をたくさん持ってきてくれました。なんとか2階につるしまして、今たべごろ~美味しくできた~

やはり、生きるのはただそれだけで忙しいものです。なんてったって、毎日食べたり、眠ったりしなくてはならぬ。そのうえ、食べるためにはいろいろやらなくちゃいけないことがあって。歳もとってきたので、無理もできず。できないことばかりで、世のオトナたちは、えらいなあ、(子どもたちはもっとえらいけど)と感心しています。それで、毎日せっせと暮らしていてnoteを書くのは後回しになっておりました。

お正月飾りとかやったほうがいいのかな?と急に思い立ち、31日に駅前の文房具屋さんで水引をせたペイで購入(99円)お庭から南天と松の枝を持ってきて、水引を適当にくるくる巻いてつけてみました。だいたいいいんじゃなかろうか

次女が第2子を授かりまして、でもやはり私に似たのか妊娠にむいていないらしく、いつ生まれてきちゃうかのリスクもあり(妊婦さんは皆さんそうだと思うのですが)できるだけフォローアップしてあげたいのだけど、腰も痛いという情けなさ。(でも頑張っていると思う。そして頑張れるのはとても嬉しい。)ほんとうに、子どもって素敵で、のんびりはしたいのだけど、この素晴らしき子どもたちのために、もし何かしら自分にできることがあるなれば、最優先でやらなければならぬ、やりたいと思うのです。

特別赤ちゃんおせちw


思うことは毎日いろいろあって、ほんとにこんな社会状況で子どもを産んで育てるのって厳しすぎるんじゃ、ということが思うことの主な発端なんだけど、自分がどうやって子育てできたのか、毎日どうやって子どもたちと遊んで、ごはんを作って食べて、お風呂に入って寝てたのか?とか、毎日のことはほとんど思いだせないのです・・。日記をつけていた時期もあるので、もしかしたら、それを見たら何かわかるかもなんだけど、なんとなく見るのも怖いしそれを紐解く前にやることがあるような気がして。

年末は、若者が集まってくれて、スキヤキパーティー。こたつを囲んでカードゲームに興じる子どもたち、昔も今も変わんないんだな~と嬉しくなりました。元旦は大家さんの親族とお友達と新年の集い。おいしいお料理をたくさんいただきました。今年は長屋が竣工するので、来年のお正月の集まりは、お向かいとうちと、両方でお祭りになりそう??

年末年始は実家に行って、ごちそう三昧?!大晦日に紅白歌合戦を見て、近所のお寺に初もうで。甘酒をいただいて、鐘を打たせてもらって・・・なんて感じでしたが、もはや、うちが「実家」になってしまいました。

とりあえず、母も施設からなんとかうちまで連れてきて、ひ孫といっしょに4世代でお正月を祝うことができました。今年、母の成年後見人になれるといいな~(手続き中)

さて、今年はnoteを書くぞ!なんて、宣言できない感じだけど、なんでも始めたらなんでもいいから続けてみることは大事かな、と思うので、もしかしたら次は夏ごろになっちゃうかもしれないけど(とか言って明日かもしれないけど)なんか思い付きですぐ書いちゃってもいいのかな~とかなんとなく思ったりして。


アトリエに通っていてくれた子がお引越しすることに。たぶん最後のアトリエを大晦日にやったんだけど、忘れ物があって、元旦に来てくれました。へびの根付をいただきました。会えなくなるの寂しいな。

今朝、新聞でテレビ欄を見て、NHKの映像の世紀の再放送を見ました。自分の生きてきた60年間って、ほんとに今と全然違うな~って、白黒からカラーに変わる映像を見ながら、そして、自分は子どもで、世の中でめまぐるしく動いていることを知らないまま大人になったな、って思いました。

1月1日の新聞の折り込みに入っていました。この保坂さんと横尾さんの対談を世田谷区の公式ユーチューブチャンネルで見たんだけど紙面にはない部分がとてもよかった。https://youtu.be/RMrBWhTECUs?si=2aYsjk-0tmuqLCcD&t=19


今年は巳年。年女。カレンダーは、あめますのステンドグラスを製作してくださった「あとりえ悠」からのプレゼント

noteは更新できていなかったけど、秋くらいからSNSを更新していました。年賀状も書いていないんだけど、ものすごく古い友人が「インスタみて勝手に話しかけてる」って言ってくれて、なんか嬉しくなりました。
いったい何を書いて何をどう公開していくのがいいのか、なんて考えたりもするのだけど、父が死ぬ前にプチ介護をしながら「きゅうぼう日記」というブログを更新していて、それは、自分が書くこと(書き残すこと)そして、それを誰かに読んでもらっている、ということに意味があったんじゃないかな~って思います。(読み返すことはまだしていないのですが、いつか読み返したいと思う)
だから、日記ではなくて公開していくことをしようかなとか(自分の記録として書こうと思っているとサボるのです怠けものなんだな・・)
結局、何をどうしたいのか、また、わからなくなってしまいました。
そうだな。
今年も全然しっかりせず、ちゃんとせず、いい加減に、でも一生懸命毎日を暮らそうと思います。

今、これを書いている横の丸窓から。窓にいるのは、昨年小学生からプレゼントしてもらった粘土の杜吉


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