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音楽好きな音感ない人間が学校の音楽教育について考えてみる

私には音感がない。
それを思い知らされたのは中学時代。
変に熱心な音楽の先生に当たってしまった。
音楽の授業で、先生がピアノをポーンと一音鳴らす。
「はい、この音は何の音?山本〜」
指名された山本が
「レです」と答えた。
「正解!じゃあ次の音〜」

いやいやいやいや。分からないって。
山本すごくね?????
それから次々と指名されて音名を言い当てていく生徒たち。
いや何でだよ。
当てられた私は、当然答えられなかった。
今思えばピアノを習っていた子達が多かったから、絶対音感がなくとも「あの曲の出だしと同じ音かな?」みたいな感じで音を当てられたのだと思う。

ピアノを習ったこともなければ太鼓の達人やダンレボでは絶対に負ける人間だったので、音楽系の部活などハナから選択肢になかった。
しかし通っていた中学校では部活を選ぶのに親の承諾、署名捺印が必要だった。
「スポーツ系か音楽系の部活でなければ認めない」と言われたため、どうすることもできず楽譜も読めないのに音楽系の部活に入部することになった。
嫌で嫌で仕方なかったが、両親の「音楽ができる娘であってほしい」という期待に何とか応えたい気持ちもあった。

そう、完全なるお荷物部員の誕生である。
具体名は伏せるが、今考えると楽譜を読むのがかなり難しい部類の楽器であり、
ミスをすると目立ち周りに迷惑をかけるタイプの楽器であった。

まだ吹奏楽などの方がマシだったのではないか。
親も私も、音楽のことが分からなかったのでそこに気付けずに入部してしまったのだ。

まず4/4拍子ではなく、高音も低音も棒線や和音が大量、オクターブ記号、フェルマータ、シンコペーション…初めて聞く単語のオンパレード。
楽器に触れる前に1人ずつ手でリズム打ち。
見かねて優しく教えてくれる仲間もいたのだけど、
教えてくれているのに訳がわからず悔しくて劣等感でいっぱいで辛くて泣いていた。
そもそもこんな楽器に興味なんてない。
こんなもの弾けて何になる。
発表会のたった4分間の演奏時間のために何ヶ月も何ヶ月も朝練だの何だのと、不毛すぎる!

家に譜面を持ち帰って、マーカーや鉛筆で書き込み。
うんうん唸りながらリズム打ちの練習の毎日。
こんな調子だったので、あの子や周りの部員に本当に申し訳なかったと思う。

あまりにお荷物だったため母親に懇願して、楽譜を読めるようになるために1年間ピアノを習いに行った。
ピアノは結構楽しくて、初級終了ぐらいまで練習した。
部活との両立が難しく、運指の基礎と楽譜の読み方がある程度学べたのでそこでやめることになった。

高校では全く違う部活を選択した。
あまりの演奏の下手さに、これ以上やらせることはできないと思ったのだろう。
両親も今度は何も言わなかった。

その頃、音楽の授業では
みんなの前で1人で歌わされたりリコーダーを吹かされたり曲のキーを当てさせられたりしたが、
成績は散々であった。
音楽ができないということが理解できない先生だったようで、不思議な生物を見るような目で見られたことが印象に残っている。

ちなみに歌に関しては小学生の時に祖父母と何故かカラオケに行くことになり、選曲に困り「サザエさん」を採点付きで歌い(緊張のあまり全身が震えて歌えず)30点を叩き出した。
今思うと意外と音高いよね。
祖父母もかける言葉が見つからないといった感じで、その場の何とも言えない空気感をよく覚えている。
普通にトラウマになった。
ちなみに祖母は歌が上手くて、シニアのカラオケ会のようなもので披露するほどである。

音楽の授業と部活は大嫌いだったが、音楽自体が嫌いかというとそうではなかった。
パソコンでプレイリストを作ってiPodに曲を入れたり、CDを買ったり鼻歌を歌ったり。
特に邦ロックや懐メロが好きで、エレキのギターソロを聴くのも大好き。YouTubeのピアノアレンジをBGMにしてみたり。今もその好みは変わっていない。
車で70〜90年代の曲をかけてドライブするのが至福の時間だ。

大人になってから子供のためとかこつけて、電子ピアノを買った。
ピアノを習ってからずいぶん時間が経ち、簡単な楽譜しか弾けないのだけど、ジャーンとコードがはまると感動した。
そこからコード弾きに興味を持ちスケールやコードの表記、コード進行、ダイアトニックコード、キーについて今少しずつ学んでいる。

歌うのも本当は好きなので、一人カラオケに行って採点を楽しむようになった。
最初は70点とかだったのだけど、数年通い試行錯誤することで(多分)上達してきて、ピアノの効果もあるのか90点台になる曲も増えてきた。

家でピアノを弾きながら歌っていると、子供が寄ってきてカスタネットを叩いたり笛をめちゃくちゃに吹いたりして、セッションしてくる。
いい笑顔だな、と嬉しくなる。
「ドレミを教えて」と言うので、
簡単な楽譜を買って音名を書き込んで渡すと歌いながら覚えてピアノで弾き始めた。
何気ない時も「ドドドシラソ〜」と歌っている。
音楽って楽しいものなんだなと大人になってから実感した。

自分は幼稚園の頃、発表会のピアニカがうまく弾けず泣きながら毎日練習していた。
ピアニカを置いた絨毯に涙が点々と落ちた。
それが音楽にまつわる一番古い記憶である。
何でこんなことしなきゃいけないんだろう、とその時から思っていた。

小学校、中学校と成長していく中でも、「音楽はよく分からない課題を強制的にさせられる授業」との認識が強化されていった。

我が子は、音楽は割と好きだがまだピアノ教室に興味はないようである。
電子ピアノに内蔵されているクラシックを適当に流して遊んだりしている。
音楽との初めての触れ合いが辛かったり悲しかったりするものでなくて良かった、とほっとした。

今考えてみると、授業で子どもたちに楽譜、音楽という概念を教えるのがまず大変に難しいというか時間が足りないと思う。

学校の限られた時間で楽譜の読み方を教え、合唱合奏まで持っていくというのは落ちこぼれる子や音楽が嫌いになる子がいても全然不思議ではない。

学校教育の音楽の授業ではこれが限界だと思うし、学習目標として目に見えやすいし、
どうしようもないことであるというのも分かる。

だから学校以外の場で「音楽の最低限の基礎知識」「仕組み」に触れる機会があると音楽嫌いが減るのかなと思う。
発表会があるからといって闇雲に暗譜させられるのでは全く楽しくない。
まして皆の前で歌わせるなど言語道断である。
そんなことをしても何の意味もない。

音楽というものが何であるのかも教えないまま、
音程が合っている合っていないだけでジャッジしてもトラウマを植え付けるだけである。

メロディは大抵コードに沿っていて、コード進行によって曲の情緒や展開が表現される。
使われる音はキーによってほぼ決まっている。
常識なのかもしれないけど、
得体の知れない灰色の泥の中のように思っていた音楽の世界に光が差し込んできたのは、「キー」「スケール」「コード」という概念を知った時だ。
結構システマチックであり、かつ奥が深すぎる。

私は音楽についてずいぶん遠回りしてきたし、正統派の音感やリズム感や知識は今でもほとんどない。
これから勉強していく身だ。
けれど、我が子には少し、ほんの少しだけ音楽の道標を示せるのではないかと思っている。

「ドの音はさ、別の所から始められないの?」
子どもの純粋な疑問はすごい。
移動ド、移調について説明してみた。
ドレミの歌を移調して弾いてみる。
こうやって少しずつ音楽の世界を知っていってほしい。

学校で歌わされたり暗譜させられたりするのは音楽のごくごく表面的な部分にすぎない。


音楽の楽しさを教えるのは学校だけの役割ではなく、親や周りの役目でもあるのかもしれない。


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