見出し画像

往復書簡~強い懐疑心を抑えて~

拝啓

8月に入り、こちらはすっかり夏らしくなりました。この耐え難い暑さの中、健やかに過ごされているでしょうか。

前回お手紙を差し上げたあと、自宅の本棚で関連する本を可能な限り手に取っていた折、あなたがお返事で教えてくださった作品がアイヌの女性・知里幸恵をたどる作品であったことに、不思議なご縁を感じました。参考文献として使われた砂沢クラ著『ク スクッㇷ° オルシぺ 私の一代の話』(北海道新聞社)をまさに読み途中だったので、時を同じくして通ずるものを読んでいたようですね。

(左)知里真志保『和人は舟を食う』
北海道出版企画センター、昭和61年
(中)砂沢クラ『ク スクッㇷ° オルシぺ 私の一代の話』
北海道新聞社、昭和58年
(右)藤本英夫『アイヌの国から-鷲塚鷲五朗の世界-』
草風館、1986年

通読はできていませんが、何冊か読んでいるうちに返事が遅くなってしまいました。お待たせしていることを自覚しながらも、今でなくては読めない焦りもあり、申し訳なく思っています。失礼いたしました。そして、改めて、本のご紹介とお手紙をありがとうございます。

石村博子『ピㇼカ チカッポ《美しい鳥》
知里幸恵と「アイヌ神謡集」』岩波書店、2022年

実は、今回この本に心から親しんでいくことができませんでした。幸恵の生き様に触れ、信念や成し遂げたことの大きさについて考えながらも、研究者金田一京助との関係性について、終始神経をつかってしまっていたのです。スキャンダルということではなく、著者の石村博子も、過激には見えないながら金田一を批判する姿勢を後半にかけて強めていっているように、読む前から二人の接触を心から喜べない節がありました。

そう感じてしまったのは、ナンシー・ウッド『今日は死ぬのにもってこいの日』の一節が忘れられなかったためでした。

ね、ほら、わかるよね。
いろんな人がここへやって来る、そして俺たちの生き方の秘密を知りたがる。
やたら質問するのだけれど、答えは聞くまでもなく、連中の頭の中でもうできてるんだ。
俺たちの子どもは素晴らしいと言うけれど、本当のことを言うと、可哀想だと思ってる。
さかんにあたりを見まわしても、やつらに見えるものといえば、それは埃だけさ。
俺たちのダンスを見にくるのはいいが、写真を撮ろうと、いつもキョロキョロしている。
連中は、俺たちのことを知ろうと思って、俺たちの家へ入ってくるけれど、時間は五分しかないと言う。
土と藁でできてる俺たちの家は、彼らから見ると妙チキリンなんだよね。
だからここに住んでいなくてよかった、と本当は思っているわけ。
そのくせ、俺たちが究極の理解への鍵を握っているんじゃないかと疑ってる。

『今日は死ぬのにもってこいの日』
ナンシー・ウッド著、金関寿夫訳
『今日は死ぬのにもってこいの日』
めるくまーる、1995年


強烈な題名ですが、こちらは著者が長年タオス・プエブロのネイティブアメリカンと交流を重ねて完成した詩集です。「なぜこの本を手に取ったのか」と、表紙をめくるなり読者に激しく自問自答を迫るようなこのまえがきを忘れることができず、どうしても金田一の動機や姿勢に対して、身構えずにはいられませんでした。なので、この充実した作品のそんなところばかりが気になってしまう視野のもち方を嫌になりながらも、著者が金田一の立場について指摘していくごとに、また、幸恵が日本人に振り回されもせず、巧妙な手口で利用されることもなく、時代を超えて使命を全うしていく様を読み取るたびに安堵していました。

しかし、やはり嫌な後味が残りました。なので、この本は現在再読中です。それも、朝7時から30分間、母に読み聞かせる形式で。

母への本の読み聞かせは、実は昔からやりたいと思っていたことでした。それは兄の影響です。4つ上の兄は、いつの頃からか母に読み聞かせをしていました。はじめは私も聞いていて、ミヒャエル・エンデの『ジム・ボタンの機関車大旅行』からはじまり、トルストイの『アンナ・カレーニナ』、メルヴィルの『白鯨』など、反抗期に突入しても読み続けていました。それで私もやってみたいと思ったのですが、そもそも読書が苦手、音読はもっと苦手。兄にとっても大変なことのように見えましたが、私はついに実行できませんでした。

今でも自信はありませんが、今回心から挑戦したいと思い、母に否応なしに読み聞かせを始めたところ、「知里幸恵」という名前を聞いたとたん母も語り出してしまいました。

『アイヌ神謡集』は、かつて母の愛読書だったとのことで、今の私よりひとつ若いときに兄を妊娠し、産婦人科の待合室でひたすら読んでいたのだそうです。実家でアイヌの文献に自然と触れられたことにも納得がいきました。『アイヌ神謡集』を大切にしていた母に、父が意識して買い集めていたのです。

話が逸脱してしまっていますが、純粋な気持ちでもう一度この作品と向き合うつもりでいます。声に出してゆっくり読むことで、一読目より多くの言葉を吸収していけると思っています。今回は、よそ見が激しかったことをご了承ください。

それにしても、著者が自らも樺太アイヌの血をひいていることを明かしたときは驚きました。幸恵について書く資格のなさにたびたび言及していましたが、通して読み終えたあとには、「アイヌ語を話せないアイヌの子孫」として急に浮き彫りにされたように感じ、現実として受け取るにはあまりに重苦しく感じました。

思ったように読めず落ち着きのないまま、あなたに何かをご紹介することも迷いました。先ほど引用したナンシー・ウッドの著書にも思い入れはありましたが。

お話するにあたり、久しぶりに読み返しました。そして気付いたのは、原著表題が"MANY WINTERS"であったこと。昔この本を読むきっかけになったのは、やはりこのインパクトのある題名でした。『今日は死ぬのにもってこいの日』という邦題は、フォレスト・カーター著『ジェロニモ』(同著『リトル・トリー』の訳者あとがきで、『山上のわれを待て Watch for Me on the Mountain』として紹介されたものと同一と思います)の中で、「今日は死ぬのにもってこいの日和だな!」という表現で見かけ、白人を待ち伏せするアパッチ族が、死を覚悟して交わした挨拶として登場していました。『ジェロニモ』を先に読んでいたことでこの邦題に飛び付き、よほど鈍かったのか、タイトルに抱いていた先入観と詩の内容との違和感に気付くこともありませんでした。

フォレスト・カーター著、和田穹男訳『ジェロニモ』
めるくまーる、1995年

詩集を再読すると、当時はおそらく読み飛ばしてしまっていたであろう訳者あとがきに丁寧に書かれている通り、「冬」が「再生」、「甦り」の季節として、特別な愛着をもたれていることが分かります。『ジェロニモ』との繋がりを見出だせたらよかったのに、とも思いますが、早とちりだったようです。私の読書の中では印象深い作品ですが、依然としてフォレスト・カーターの縁で繋がっているというだけのような気もしてしまっているので、他の作品をご紹介することにします。何か気持ちを静められるものを意図的に選ばなければという焦りから選んだのは、日高敏隆の『春の数えかた』というエッセイ集です。

日高敏隆『春の数えかた』新潮社、2001年

あなたが以前、やっとあたたかくなったばかりの春に、冬が恋しくなるような『詩と散策』を教えてくださったから、今こそ春らしい本を、と言う訳ではありません。実際に、私たち人間が認識している春ではなくて、あらゆる時期の植物や昆虫を追いかけていきます。無数の蝶やダニが群がる様子、カイコの手術、ハスの実の、種子が落ちて穴がぽつぽつあいた「はちす」が濠に密集している光景など、生で見たなら抵抗があるものも、エッセイとしてなら興味深く愉しめました。苦手でしたら悪しからずご容赦ください。

繰り返し読んだのは、「人里とエコトーン」です。動物行動学者である著者は、「人々の求めている自然とは、どのような自然なのだろう?」と問いかけ、自然と人間の共生へ論を進めます。

ちがう種の生物とのたえまない闘争、そして同じ種の仲間どうしとのたえまない競争。日夜それが繰り広げられているのが、「生態系」の実状なのである。その結果としてゆきついている状態が、われわれの幻想としての「調和」であり、それが自然の論理、自然のロジックなのである。
このようなことがわかってきてみると、生態系の調和を乱すなとか、自然にやさしく、自然と人間の共生とかいう、今日よく目にすることばが、何を意味しているのかわからなくなってくる。

「人里とエコトーン」『春の数えかた』

人間のロジックと自然のロジックがせめぎあう空間として説明される「人里」からは、私の個人的な読みとして、ネイティブアメリカンやアイヌが暮らしていた世界をありありと想像しました。人間が主な生活の場とする空間には人間のロジックが強く反映されるが、かといって草木がまた生えてくるように、自然のロジックも根絶やしにされることもない。いたちごっこにも見えますが、これがまさに共生が叶っている状態なのです。「人間は自然に生かされ、同時に自然を生かしている」と考えるネイティブアメリカンやアイヌは、人間である以上人間のロジックも通す一方で、自然にも同様のロジックが存在していることを深く理解し、対等どころかそれ以上の生物として敬意をもっていたのではと感じました。これまでの読書で触れた、無数の神を敬う信仰に篤い人々という描写に加え、この本を手に取ってみて良かったと思えました。

手紙を書くのにも一段と悩んでしまいました。「ほっとする言葉を書きたい」と言いつつ、当初は気性の荒さが目立ってしまったことが気になったのです。今もそうかも知れません。こんなときはどのような言葉を選んだらよいのか、ほっとする言葉など選べないのか。あなたに不快な感情をぶつけてしまっているのではないか、それが不確かで心配なら差し上げない方がいいのではないか。正直に書いたらこのようにしかならないし…。

あなたにも、こんな調子で読み終えてしまったり、想いを書き残すことはあるのでしょうか。本筋とは異なる事柄で頭の中を埋め尽くされて、純粋に作品の美しさや価値の高さに触れられなかったことはありますか。私は、この作品をもっと心静かに読むことを予想していました。「迫害や差別に対する怒りを思い出させてくれる読書もあれば、書くことの尊さを感じる読書もあります」と優しいお返事をくださったのに、いまだに落ち着かないままお手紙を返すのが心苦しいです。再読してからお返事することも考えましたが、一日に20頁ほどしか進まない音読が終わるのをお待たせするのはさすがにと思い、このままの心持ちで差し上げることにしました。

あなたからのお手紙は、とても嬉しく拝読しました。

「書いたことがある」「すでに書いた」という完了形ではなく、きのうも書く、きょうも書く、あすも書く、これらをまとめて現在形の「書く」という悦び。

既視の海さんのお手紙

「書く」という悦びは常に現在形であるということに、とても共感しました。好きなことなら毎日やる。人の関与がなくてもやる。過程を見れば苦しいことも列挙できるけど、やり続けられる。そんな感覚を、他の営みから学んでいます。書くことについては、あなたありきでできているというのが、お恥ずかしいですが今の正直な気持ちです。毎日やるというペースにも到底及んでいません(往復書簡を始めてから、日記を書くようにはなりました)。ただ、往復書簡をとおして、読書中の不安や孤独感が薄れつつあるのを実感しています。あなたのおっしゃる、書くことで毎日がたのしいかどうか、きょう書く悦びが、あす書く悦びの源泉になる、という純粋な営みには及んでいませんが、継続して書いていくことが、私の日常にとっても、読書にとっても大事であると肌身に感じるこの頃です。精進します。

来月は、「飯田線阿房列車」の旅を実現させるのですね。あなたの自己紹介文の「なんにも用事がないけれど」の箇所は『第一阿房列車』へのオマージュとお見受けし、列車の旅への思い入れを知ると同時に、あなたが『カネト』と私からの手紙に、そのように向き合ってくださったことへの喜びを隠せません。思わず、あなたがこの本を胸に抱きながら、至福に浸る光景を思い浮かべました。無事に長旅を終えられることをお祈りしています。

お誕生日が近いですね。おめでとうございます。こうして同じ時代に同じ本を読み、言葉を交わせることを嬉しく思います。お忙しいご様子ですが、どうかおからだをお大事にしてください。

                     敬具

                     冬青

こちらは、既視の海さんからのお手紙《何が「書くこと」に駆り立てるのか——石村博子『ピㇼカ チカッポ 知里幸恵と「アイヌ神謡集」』、沢田猛『カネト 炎のアイヌ魂』》へのお返事として書かせていただいたものです。

いいなと思ったら応援しよう!