往復書簡~流れる時間を噛みしめる~
拝啓
今年の冬は、地元の人も堪えるほど風が吹き荒れました。窓のシェードに雪の影がうねり、風音が鳴り響いていたあのとき、あなたもまさに吹雪のなかにいらしたことを、前便で知りました。生活リズムが乱れ、お身体も万全ではなかったなか、お返事をくださり恐れ入ります。こちらからのお返事、お待たせしてすみませんでした。
呼吸をするのも難しく感じられていた時期に繰り返し読まれたという大切な一冊をご紹介いただき、ありがとうございました。
私は、読書好きというには後ろめたいほど読書が苦手です。ですが、救われた経験もあります。たとえば、ヘミングウェイの『老人と海』のような、物語のなかの時間と読むのについやす時間がちょうど重なるくらい、ゆったり情景が進んでいく作品。次々に展開する小説も面白いのだけれど、そうでない世界を閉じ込めた小説にも出会えたことで、読み続けてこられたと思っています。
今回ご紹介いただいた『吹きさらう風』にも、そのようなゆるやかな時間が流れていました。この先も続いていく4人の時間の断片を垣間見る、静かな物語でした。短いひとときをたどりながらも、ピルソン牧師、娘のレニ、整備工のブラウエル、息子のタピオカそれぞれの生い立ちに触れ、人柄を感じながら読みました。
つい意識してしまうのはレニでした。反抗的な態度に切実な想いをゆだねてしまう、多感な時期ならではの不器用さを愛おしく感じ、自分に雷が落ちることを望む彼女の、もろくて危うい感情を半分請け負いたい気持ちで読み終えました。
私からは、『戦争語彙集』を紹介させていただこうと思います。
この作品は、前半にウクライナの詩人オスタップ・スリヴィンスキーが避難者から受け取った証言を詩として提示し、後半では詩の日本語訳を試みたロバート・キャンベルが、生の声をきくべく、みずから現地の人々を訪ねた旅について記しています。
詩からは、それぞれの経験を抱えた人々の、この先どこに向かうのか定まらない心の有り様が伝わってきます。「当事者ではない人たちにとって、この本がどのようなものであってほしいか」とキャンベル氏に問われ、本書に詩を寄せた詩人のオレーナ・ステパネンコは、
と返答しています。
読みながら、何ができるのか、また悲惨な現実を突きつけられた人たちに何をしてきたのかを振り返り、高校時代のふたつのことを思い出しました。ひとつは、”Hug & Read”という企画です。東北での大震災の直後に生徒会執行部が催したもので、被災した地域のこどもに絵本をおくりました。絵本に限定されていたのは、企画名のとおり、”Hug”を必然のものにするためです。大人がこどもを膝に乗せ、抱きしめ、絵本を読み聞かせる。平穏だったころの日常のひとこまを少しでも取り戻してほしいという願いがありました。
ふたつめは、図書委員会の企画です。内戦で家族を亡くしたアフリカのこどもをケアしている方のお話を、放課後の図書室で聞きました。
いずれも私はただただ参加者でいただけでしたが、何かできることはないかと悩んだのを覚えています。絵本にはこっそり手紙を挟みました。図書室での講演では、講師の方がお持ちいただいていた無地のハガキにメッセージを書きました。どちらも届いたかどうか知る術はありませんが、名前も顔も知らないこどもたちの心が、一瞬でもあたたまるようにと想いを込めました。
これらの行動に意味があったか、答えは出ません。ですが、『戦争語彙集』を読み、知らずにはいられない、つながらずにはいられない、そして、言葉をかけずにはいられない今の想いを形にすることが大切だと知りました。
読み終えたあとはもどかしく、それはまだ続いています。無力なことももちろんですが、これらの証言を、自分のなかに納めきれていないからです。しかし、もどかしいと思いつつも、この作品にはとても勇気づけられました。言葉の可能性を含め、芸術的な活動をあきらめなかった人々に心を打たれました。お読みいただけるなら、嬉しいです。
最近読んだすてきな一冊のなかに、こんな一文がありました。
『戦争語彙集』を一読したあと、私は言葉が出てきませんでした。きこえてきた声を心に納められるまで読み、読んだからこそ起こせる行動を考えたいと思います。
季節がすっかりうつろい、夏の盛りを迎えていますね。こちらの涼しい気候では、ユリの花が見頃です。
夏はお忙しい時期だと記憶しています。お返事は急ぎませんので、どうかご自愛のうえお過ごしくださいませ。こちらは健康的に過ごせていますが、手書きから遠ざかりすぎてしまい、頼りにしていた筆記用具が傷んでしまったことを嘆いています。
敬具
冬青
こちらは、既視の海さんからのお手紙《衝動に身をまかせる——セルバ・アルマダ『吹きさらう風』、車谷長吉『贋世捨人』》へのお返事として書かせていただいたものです。