metamolphose


我々人間は、視覚・聴覚・嗅覚・触覚・味覚からなる五感によって、身の回りの環境から様々な情報を取得し、それらを脳内に送り込むことによって処理している。例えば視覚情報は、眼球の網膜から入り外側膝状体・第一視覚野を経由し前頭前野へ送られる。そこで、送られてきた情報を元に周囲の環境と自己との関係性や過去から現在、将来への時系列を理解し、経験や記憶に基づく判断をしている。このことから、我々が抽象的なことを想像したり、表現する際に、五感から得られるイメージとリンクさせて言葉を与える、ということは自然な営みであると理解できるだろう。

例えば、「眩しい」という言葉がある。この言葉の意味は以下の通りである。
① 光が強すぎてまともに見にくい。眩い。「裸電球がー・い」
② まともに見ることが躊躇われるほど美しい。また、尊い。

①の意味は単に、「視覚」から入力された強い光を形容したものであるのに対し、②の意味は「美しさ」という抽象的な概念を「強い光」に例えたものであると言える。このように私たちは、「五感」によって得られた感覚によって、身の回りで起きた「五感」では感じ取れないような概念に近似的な表現を与えることができる。

「甘やかだ」という言葉がある。この言葉は非常に面白いと私は思う。「甘い」という味覚に由来する状態を表す形容詞を語幹に、「〇〇やか」という形容動詞を作る接尾語がついた言葉だ。日常会話ではあまり聞き慣れない言葉ではあるが、詩や歌、映像作品などの創作物にたまに出てくる。先日、新世紀エヴァンゲリヲンの旧劇場版を視聴したのだが、そのエンディングテーマとして”Comm Sussex Tod”という歌が流れた。タイトルの意味が気になって調べてみると、「甘やかな死よ、来れ」と翻訳されていた。この時、私は「甘やかだ」という言葉がなんとなく、妙に気に入ってしまった。なぜ、この言葉が私にとって面白いと感じられるのだろうか?その理由を少し考えてみたというのがこの文章のテーマである。

まず、「甘い」という言葉に対して頭の中にどんなイメージが湧いてくるだろうか?私の場合、まず初めに「甘い」お菓子がお皿にいっぱいに載っているイメージが湧いてくる。その次に「甘い」ものは、「少女」によく好まれるなぁという連想から、可愛らしい「少女」の姿が浮かんでくる。確かに、女子中高生はお菓子ばっかり食べていて夕飯もろくに食わず、そのくせ自分のプロポーションを気にしてばかりいるダブスタぶりを発揮していることが散見されるし(そのようなところも可愛らしいところでもあるのだが)、講談社から発行されている少女向け雑誌のタイトルも「デザート」であるし(筆者は中学生時代、ちょいワル女子から「デザート」誌で頭部を殴打され、流血したことがある。”Dessert”ではなく、”Desert”が水を吸収するかの如く、「デザート」は生き血に飢えていたのに違いない…。)、「甘やかされる」のは大体箱入り娘というステロタイプが私の中にはあるし(ニートは男の方が多い)、これらのことから「甘い」という言葉は「少女」というものを強く想起させる言葉であると言える。

一方、「〇〇やか」という接尾語がついた形容動詞を幾らか思いつくだろうか?「艶やか」「煌びやか」「慎ましやか」「お淑やか」…etc。私が思い付いたのはこんな調子だが(都合のよい言葉しか思いつかないのはご愛嬌)、どの言葉も「少女」というより「大人の女性」を連想させる。「〇〇やか」という接尾語は、エレガンスを感じさせるような言葉との親和性が高いと思われる。

これらのことを踏まえて「甘やか」という言葉を眺めてみると、その異質さがわかる。コドモを象徴する「甘い」と、オトナな雰囲気を想起させる「〇〇やか」が共存しているという違和感。これが、「甘やか」という言葉の面白さの正体だと思うのだ。

それでは、女性がコドモからオトナへと変わる瞬間はいつなのだろうか?まるで、地を這いずり回る芋虫が華麗に羽ばたく蝶になるための蛹の期間。それはいつなのか。散歩がてら行った行きつけのカフェでそのことについて思索を巡らしていると(※多少の脚色が入っている)、目の前を女子大生の一段が通り過ぎた。そして私は彼女らを見てふと、その答えが浮かんだ。ああ、女子大生のことに違いないと。コドモらしさとオトナらしさをどちらも併せ持つ蛹の期間、それが女子大生なのだと。

高校の頃の同級生たちは、ある意味素朴で純真な「子供らしさ」を全身に纏っていた。しかし、大学に進学した彼女らのInstagramを眺めていると、だんだん「子供らしさ」よりも「大人らしさ」を身につけるようになっていった。もし、私の記憶がリセットされ今彼女らと初めて会ったのならば、「子供」ではなく「大人」の女性だと思うことだろう。
では、何が彼女らを「子供」から「大人」へと変えたのだろうか?

おしゃれな場所をたくさん知ったからだろうか?
服にこだわるようになったからだろうか?
化粧をするようになったからだろうか?
髪色を明るくしたからだろうか?
お酒を飲むようになったからだろうか?
恋愛をするようになったからだろうか?
少しは酸いも甘いも知ったからだろうか?

その答えは、男の私には知る由もないだろう。花畑を舞う蝶はいつの間にか現れる。そのMetamorphoseは私には見えない場所で、しかし着実に行われている。これまで庇護の対象だった可愛らしい芋虫から、煌びやかな蝶として力強く未来へ羽ばたいていくために。そんな神秘的な期間が、「女子大生」であり「甘やかさ」なのだ。

長々と気色が悪くくだらないことを書き連ねたが許してほしい。これは私が女子大生を遠目で観察しただけの、貧弱なエビデンスに基づく考察に過ぎない。しかし、願いが叶うのならば実際に間近で観察したい。虫眼鏡で観察したい。TEM(透過電子顕微鏡)にかけてしまいたい。ああ、早く彼女がほしいなぁ!!

いいなと思ったら応援しよう!