ゆるやかに、
近頃「ゆるやかに、」という言葉が頭に浮かぶ。
何故なのだろうか、この形容動詞は一体私の何を表したいのだろうか。
仕事に向かう電車の中、仕事の途中ふとした瞬間に考える。
「ゆるやか」という言葉からまず連想するのは、「ゆるやかな自殺」だ。
「ゆるやかな自殺」
煙草のことだっただろうか。
煙草は、喫煙は、ゆるやかな自殺だと。
ゆるやかに、ゆるゆると、首を絞めていってほしいとは思う。
平気なふりをして過ごしている毎日が、実は私の首を絞め、心を麻痺させていってほしい。
そう考えてみると生きていること自体がゆるやかな自殺なのかもしれない。ゆっくりと、しかし着実に老いに向かい、その先には死が待っている。それを知りながらも時間に逆らうことのできない私たちは、ゆるやかに死にむかっているのだ。
ゆるゆると、ゆるやかに、心を蝕む。
激しく揺れ動くことが減り、凪のように落ち着き始めた自らの心に思う。「慣れ」とも捉えられるであろうこの変化は、私にしては非常に大きいものだ。これが「慣れ」ではなく、自らの心を殺して得た凪であるならば、死へ向かうスピードはゆるやかに増しているのであるまいか。
ゆるやかに、ゆるゆると、死んでしまいたい。
頭に浮かぶ言葉を、今日も見ないフリをする。