生きる道

【い】入れ替わらない人生

#あいうえおコラム

「君の名は。」の「入れ替わってるーーーー!?」でお馴染みのキャラの体と心が入れ替わる現象@フィクション、について。

幼い頃から、自分の中にそれに近いイメージがある。
社会は、何本もの道の集合体で、人はその道を歩いている。(写真とは違って、橙色〜クリーム色の靄の中を歩いているのを横から見たイメージ)それこそが人生で、出会うというのはその道が横並びになって重なること。
自分の意識が誰かの体に乗り移ることがあればその人が歩いている道の景色を見たり、その人の暮らしを体験できるのではないか、というイメージ。(景色は着ぐるみからの視界をイメージしてもらえればわかりやすいかも)

小学生かなぁ。そのくらいの頃にお風呂上がりにふと、今まで自分の中にそういうイメージ、ビジョンがあったなぁ、と気がついて、なるほど自分は人生をそう捉えているのかと悟ったのです。

それはつまり、自分はどこかで肉体と精神は別々のものだと考えているということで、だからこそ、精神(意識)だけが他の人と入れ替わることもありえると、考えていたのかなぁと思います。

まぁもちろん、実際にはありえないと思いますけどね。
仮に幽体離脱か何かしたとしても、それがちょうどいい具合にお互い同時に起こって、ちょうどいい感じに交換されるって、どんな確率だよ!と。

なぜかそういう哲学的なことを考えるのが好きな子供だったんですよね。
思い返せば、人生は20代までしかないと思ってたなぁ。なりたい職業があったんだけど、それになったとしても20代で終わり、30代になったら結婚して子供を産んで、もう自分の好きにはできない、と思っていました。
たぶん母が専業主婦だったからかな。結婚、出産=自分の人生終わり、というイメージがあった。まぁ今でもそう思っている節があるけど…
だから早く結婚する人を見ると、えっもう終わりでいいの?勿体ないって思ってしまう。だから、その後の人生は死んでても構わないと思っていたのかもしれない。

きっとこれは紛れもなく、母が自分の好きなことをやっている所を一切見たことがなかったからで、今でも母は何が好きなのかちっともわからない。
楽しそうだけど、無趣味な母。

何年後かに、もしわたしが結婚したら、さぁどうなるだろう?
その時はぜひ、自分の好きなことを生活の中に潜ませているお母さんになりたい。何かを創り出している、そういう毎日で、お母さんの人生も楽しそうだと思わせたい。

人生100年時代。まだまだ序盤!
誰かの人生と入れ替わるなんて、きっと無理だから、この人生を悔いなく歩んでいけますように……

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雨飴えも
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