2023-07-10の日記(ヒップホップ入門、スプーンを洗う人生、#KMNZタグをつける)

僕の神に関する考えは、漸進的創造論ってのに結構違うけど近いらしい。無から有に変わる瞬間に神は関わっていて、そこで一つやあるいは沢山のものが生まれたわけだが、そこから先は神の管轄外のことも沢山ある。神はかなり排出率のいいパチンコ台を僕たちに与えてくれただけで、僕たちが進化出来るかどうかは僕たちの運とか実力で決まる、という考え。だから神は存在するけど神頼みに意味は無いし、人格神がいるとも思ってない。だから、何かを改善するためには神にバージョンアップデートの要望を送ることではなく世界の理を解する必要がある。

まあ、世界の仕組みにも不完全であることを受け入れなければならないものはある。これは社会に良くある改善は理論上可能だがそうはいかないよねという話ではなく、本当に完全であることが不可能なこと。例えばスプーン。スプーンは液体を最も効率よくすくうことの出来る文明の利器だが、その能力のために洗う者の服をびっちゃびちゃにするという不完全性を持っている。これは仕方ないことだし、洗いやすいスプーンという幻想に囚われてはいけない。

神の管轄外であり、完全なる不完全性をもつものとどう対峙すべきかはよく分からない。諦めると一言でいっても、色んなスタンスがある。それに関して産まれる感情に対処することを諦める人、感情に対処しないことを諦める人、感情を産むことを諦める人。今のところは、生き方の他の部分と整合性が保たれているのであればどんな諦め方でもいい気はしている。

話はそれたが、そうは言っても、基本的には諦めない方がいい事柄の方が多い。僕たちが悩む事柄のほとんどは、上手くスプーンが洗えないことではない。そこは上手くできていて、スプーンが上手く洗えないことがクリティカルに人生を駄目にすることは少ない。僕たちは、僕は、諦めない方がいい。


最近KMNZが好きだし、webkusoとかgroup_inouとかをよく聞いてて、ヒップホップがやりたいなと思っている。 ラップやってる場合じゃないのは分かっているが、何か本当に近いことに逃避したい。https://twitter.com/etoooooe/status/1677432058375974912?s=20
リンク貼り付けが出来ないのでURLを貼るが、この一連のツイートでも言ったように、僕はヒップホップにどこか幻想を抱いている。人々はまだ僕の知らない本当のなにかに近づいているんじゃないかと。
そう思わないと、やってられない。もし自分の人生の使命がスプーンを洗うことだったらと思うと、怖くて仕方がない。

「今日からはじめるラップ講座」みたいなのはまだ読んでない。なんかダセェという気持ちに勝てないから。俺は感覚派だからといういかにも感覚派らしいセリフで人生を貫いて失敗してからも、なかなか生き方は変えられない。気が向いたら読みたいなと思ってはいる。世界は理で改善できることもきっとあるから。

自動販売機のくじがはずれた昨日の俺はどっか拗ねてた
当たんないって、頼んでないって、生まれてきたいと思ってたこともない
生まれてきたくないなんてのもない
不安が苦痛なメンタルで生きてると、通過する電車を恐れる
飛び込んじゃいそうなんてロマンティックなことじゃなく、ただ恐怖が増してく
みんな死んでく
成長したいなら戦い続けろって、争いたくないから言ってんのに
常に狐に虎の威を借りさせてくださいって言ってる
利敵行為をしないやつは馬鹿だが自身を失うやつはもっと馬鹿だ
俺は失敗したみたいだが、俺はそれを自覚したい
ヒップホップには特異性があるって得意げに言うビギナーになりたい
ダニングクルーガー効果
すべてが惰性な日々の中で、くびきを負わねえ生活の中で、それで結局どうしたい?
申し訳ないって言いたいだけ?


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