古井戸【ホラー怪談小説】


 この前、友人の武田君から電話がかかってきて、
「なんだか、幽霊が出るんだけど、ちょっと来てくれないか」
と言うから、私は行くことにした。私は生まれてから一度も幽霊を見たことがない。 またその存在も信じていないことはないのだが、どうにもこうにも半信半疑。だから幽霊がいるんだったら実際に見てみたいと思った。
 武田くんの家は私の家から1キロぐらい離れたところにある。庭が広くてなかなか立派な家である。元々、武田君の一家はマンションで暮らしていたのであるが、医者であるお父さんが開業するということで1ヶ月ほど前、現在の大きな家に移ってきたのである。
 私は自転車に乗って武田君ちへ向かった。
 3分で着いた
 私は自転車に乗ったまま呼び鈴を押した。玄関のドアが開いた。武田君がすっと顔を覗かせた。かなりやばそうだ。顔色が真っ青だ。最初、幽霊かと思った。
「大丈夫か。顔色が悪いぞ」
と自転車から降りながら私が言う。武田君は首を振って、
「駄目。もしかしたら取り憑かれたかもしれない」
「冗談だろ」
「いや本当だよ」
「取りつかれたって、さっき電話で言っていた幽霊にかい?」
「そう。体の調子がおかしいんだ。 妙に寒気がするんだ」
見れば武田君は、黒いロングコートで身を覆っている。今は夏の真昼まである。
「暑くないの?」
「うん平気。これでもまだ寒いぐらい。さっき親父に診察してもらったけど、原因は分からないって言われた。もしかしたら、俺、明日あたり死ぬかもしれない」
 さすがに死ぬことはないと思うが、ともかく、私は幽霊の現れる場所を彼から聞いて、早速 2人で、そこへ向かった。
 庭。
 見渡す限りの青々とした芝生が、夏の光を跳ね返している。その一角に苔むした古い井戸がある。そこから幽霊が現れるという。
「ここかい?」
私は古井戸を指さしながら問いかけた。
「そう。その井戸の中から出てくるんだ」
武田くんは、少し離れたところからそう答えた。井戸に近づくのさえ怖いらしい。
「70歳ぐらいの白髪の老婆なんだけど、そいつがリングの貞子みたいに井戸の縁に手をかけて這い上がってくるんだ」
「本当かよ…。気味悪いな。 井戸にはよく幽霊が出るって言うからな…」
私は、ある思い込みからそう言った。水の周りには霊が集まりやすい、と以前テレビで聞いたことがあって、その先入観から私は何の分別もなしに、ついそれを口に出してしまったのだが、まさか手放しでそう信じているというわけではなかった。何しろ幽霊の存在には半信半疑だから…。
「何か曰くのある井戸じゃないの?」
と私が聞いた。
「ないと思うけどなぁ」
とつぶやきながら、何やら考え始めた。そして、しばらく彼が考えているうちに、かえってこっちが、
「あ!」
と大きな声を上げた。私は思い出した。 武田君の一家がこの家に引っ越してくる前、ここには老夫婦が2人きりで住んでいて、それは70歳ぐらいの品のいい夫婦だったのだが、そのおばあさんが3ヶ月前、この古井戸で亡くなったのを覚えていた。 おばあさんは、井戸で水を汲んでいる最中、誤って落ちて死んだのだった。
「その幽霊って痩せた着物姿のおばあさん じゃないか?」
と聞いてみた。何度かそのおばあさんと道ですれ違ったことがあったのだが、そのたびにおばあさんは、落ち着いた感じの色の着物を着ていたのが私の記憶に残っている。
「そう、そう。確かに紺色の着物姿だった」
と武田君が興奮気味に答えた。私は、この家で起こった事故を教えてあげた。武田君は、その間、黙って聞いていた。
 それから、我々は街へ行って、色花と線香を買った。そして再び彼の家に戻ると、それらを井戸の前に供えて、おばあさんの霊の供養をした。死んだおばあさんは、まだ成仏していないと考えたのだった。
 その供養の効果の故だろう、この日以来、武田君の体調は、めきめき回復し、原因不明の病はすっかり治った。私も前より多少、霊の存在を信じるようになった。


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