華厳の滝

 えー、稲川です。私、こういう話しているものですから、人からよく、稲川さん、日本で1番怖い心霊スポットって、どこだろうね、と聞かれることがあるんです。そういう時には、たいてい、私、それは、華厳の滝だよ、って即答する事にしているんです。というのはですね、昔、こんな体験をしたんです。
 それは、小学校の時なんですが、修学旅行でもって、日光に行ったんです。私は、東京の国立生まれですから、あの辺の小学生は、決まって、日光へ修学旅行へ行くようなあんばいになっていたんです。リュック背負って、弁当なんて持ったりなんかしてね、お母さんに見送られて、朝早くからバスに乗って、栃木県の山道を、ぐうーん、ぐうーん、って走ってさ、車内では、友達とワイワイ騒いで、窓から景色なんか、ぱっーと眺めては、あー、やっぱり東京とは違うな、景色が鮮やかだな、って誰でも思いつくようなことを、得意顔で言っで感動したりしてさ、みんな、開放的になってるんでしょうね、非常に楽しかったんです、ええ…。
 でね、華厳の滝ってのは、自殺スポットとして、有名でね、あすこは、気味悪くてさ、私なんて、小さい頃から、ぜんしん霊感だらけですから、最初、華厳の滝を見たとき、わあー、イヤだなあ、何かヤバイな、気持ち悪いな、ってブルブル、ブルブル、と背筋が寒くなったんです。鳥肌なんか立ってさ。いや、とくに何か見たって訳じゃないですけどね、何か、空気がさ、こう、ピーン、と張り詰めてるっていうのかさ、尋常ならぬ物を感じるわけなんですよ、ええ…。で、そういう時って、たいてい、出るんですよ。ええ…。いや、ほんとうなんですよ。というのはですね、しばらく、滝を見ていたらですね、やっぱり、へんなんです。あの…、滝、滝っていうのはさ、切り立った崖になっているじゃないですか、上のほうから、ドバーッと、水が落ちたりなんかしてさ、霧状に広がり真っ白になってさ。するとですね、その崖の途中に、人がへばりついているんです、やっぱり。ふつう、そんなところに、いないですよねー。バーッと水しぶきを浴びてさ、ぬれた岩肌にさ、身体を、大の字に広げてさ、両手と両足でもって、こう、蜘蛛みたいに、ぴたっと岩壁にへばりついてんですよ。居るんですよ、人が…。うわー、ヤバイな、気味が悪いな、へんなの見ちゃったぞ、おい、って震えながら、私、見ていたんですよ。その人をね。するってーと、そのうち、そいつがさ、顔をこっちに向け始めるんですよ。ぐぐっ、ぐぐっと、ね。そいつは、背をこっちに見せて、岩にへばりついているわけだから、最初、顔は、崖の方に向いているんですよね。ええ…。それが、だんだん首を、ちょっとずつ、ちょっとずつ、ぐぐっ、ぐぐっ、とこっちにひねっていくんですよ。ええ…。てなわけですから、ちょっとずつ、ちょっとずつ、横顔が見えてくるんですよ。ぐぐっ、ぐぐっ、とね。おいおいおい、洒落にならないぞ、おい、わあー、ヤバイな、こりゃあ、ヤバイな、あの顔、完全に、こっちに向いたら、ヤバイぞ、とんでもない事になるぞ、見たくねえな、見たくねえな、って、私は、眼をヒョイとそらして、横に向けたんです。でもね、やっぱり、人間の心理として、どうしても、先が気になっちゃいましたから、怖いもの見たさとでも言うのでしょうね、また、滝の方へ眼を向けましたら、いませんでしたよ。さっきの人。うわあ、ヤバイな、気味が悪いな、消えちゃったよ、どこ行っちゃったんだ、まさか、滝壺に落ちちゃったのかな、とね、その後、私、ずいぶん滝壺のほうも探しましたがね、誰も落ちていませんでした。おそらく、あの人は、この世の人ではなかったんじゃないかと思います。
 あるんですよねー、華厳の滝には…。

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