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友達ってなんだろうと考えた話

先日テレビドラマ「ナイルパーチの女子会」を見終えた。

「女友達ができない」というコンプレックスを抱えるアラサー女子たちの葛藤や他人への執着がリアルに描かれていた。

ドラマを見てる間、「結局友達ってなんだろう」ってずっと考えた。

自分のことを少し振り返ると、自分も「私には親友と呼べる友達はいない」と悩んだ時期があった。誰とでもそれなりに話せるけど、電車に乗って一緒に遊びに行くような友達はいなかった。当時は平気なふりをしていたけど、本当は寂しかったし惨めだなと思っていた。

だから、ファミレスを出て「いつでも連絡して」なんて半ば社交辞令のような言葉を本気にしてしまう主人公の気持ちが何となく分かった。友達がいない人にとっては二人きりで何処かへ行っておしゃべりするなんて、ものすごく特別なものに思えるから。

でも実際は、そんな出会ってすぐ意気投合するマンガみたいな親友なんてそうそう出来ない。何ヵ月か経ってお互いの本性が見えて、喧嘩まではいかずともちょっと離れたいと思う時期もくるし、極論他人だから相手が自分のことを本当はどう思っているのかなんて分からない。たとえ今ずっとお喋りが絶えないような仲でも、5年後には連絡先すら知らないかもしれない。

でも、それでもいいのだ。と、最近よく思う。今一緒にいて楽しいから、それでいいのだ。と。そこには「友達だからどうこうすべき」なんて縛りは存在してはいけない。

多分人って自分が思っていた以上に寂しさに弱い生き物なんだなと思う。だから、今一緒にいて笑ってくれる人が、黙ってても安心できる人が必要になる。そんな時間をお互いに埋め合えたら、それで十分。

もちろん、何年も何十年も親しくできたら嬉しいけど、でもそれは友達だからを理由に約束されてるものではない。お互い別々の人生を生きる以上、物理的にも精神的にも疎遠になることだってあるかもしれない。

こんなことを言うと、なんだか寂しいようなそっけないような気もする。でも、だからこそその時その時で出会う人を大事にすることって必要なのかななんて思う。

ドラマの最終話で主人公の幼馴染が、何年後かにたまたま道端で会ったときに軽くお喋りができる、それでいいんじゃない?と言った。

確かになあ、と思った。そんな風に再会した時に気まずくなるような関係じゃなければ、それでいいのかなと。「友達だから......」なんてプレッシャーはいらなくて、楽しかった時間を共有した相手と、会ったら気軽に話せるくらいの関係性でいれたらそれで十分なんだと思う。

自分にも、大学に入ってものすごく仲の良い友達ができた。卒業してお互い別々の道を行く中で、もしかしたら疎遠になってしまうかもしれない。でも、どこかでばったり出会ったときに、楽しかった学生時代を共有できた仲間として「どう?元気してた?」なんてノリで話せたらいいな。