本『謎ときサリンジャー 「自殺」したのは誰なのか / 竹内康浩』
サリンジャーの短編小説集『ナイン·ストリーズ』の最初の一遍『バナナフィッシュに うってつけの日』
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この中に最後に出てくる、銃で自殺した男性は「シーモアでは 無いのでは」という疑問から、
最後の『テディ』の落下音、『ライ麦畑でつかまえて』のホールデンの行動の意味、までを180度変える解釈が 驚きでした。
そしてサリンジャー作品全てに対する見事な考察。
私が最初に読んだサリンジャーの作品は『フラニーとゾーイー』で 高校の時の読書家の友人に「これ きっとmeg(私の学生時代のニックネーム)は好きだと思う」と貸してくれたのです。
(『フラニーとゾーイー』については 後日詳しく書く予定)
すっかりサリンジャーのファンになった私は『フラニーとゾーイー』と『ナイン・ストーリーズ』を自分で買い求めました。
『ナイン・ストーリーズ』は ほぼ全編 死の影が漂っている作品でした。
『バナナフィッシュ…』は プールの場面とエレベーターの場面、部屋に入って拳銃自殺(と思われる描写)する所まで、登場人物の男性はシーモアだと思って読みました。
でも確かに 部屋に入ってからの描写は 色が違っていて 登場人物を“男”と呼んでいます。
エレベーターの場面も シーモアが裸足かサンダルで乗り込んでいて、女性がその足元を チラッと見たのに難癖を付けているのだと思いました。
けれど この人物はシーモアでは無く、弟で作家(サリンジャーの分身と考察されている)のバディの可能性がある と書かれています。
バディは義足で それを見られたと思って怒ったのではないか、と。
この『ナイン・ストーリーズ』の最初に“片手の拍手”についての禅の考案『隻手音声(せきしゅおんじょう)』があります。
「私達は 両手の拍手の音を知っている
片手の拍手の音は如何に?」
という内容です。
サリンジャーの作品の全ては ここから始まっている、という考察です。
もう一度、サリンジャー作品を 全て読み直さなくては、と思いました。
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