令和ロマンのライブを見て考えた、おもしろいコンビ名
令和ロマンの漫才が、好きだ。昨年のM1で見たときから。緻密でクリエイティブ。でもって、即興的でもある。幕張でライブがあると知ったので、(ライブは初めてだったが)観に行った。
漫才との出会い
子どものころ、毎週末ヒマを持て余していた。しかし家にあるのはテレビだけ。だから、テレビばかり見ていた。「独占!女の60分」や「笑っていいとも!増刊号」、「スーパージョッキー」、「よしもと新喜劇」など。何年も見続けた。ただ、楽しみにしていたのは「笑っていいとも!増刊号」だけ。
中部圏に住んでいたので、関西圏の漫才番組も流れ込んでくる。ヒマすぎて、天井の壁の木目で迷路をするか、テレビで漫才を見るか、どっちかだ。その中でも「やすきよ漫才」は夢中になれた。
小学生女子を楽しませるくらいのトークを広げること自体、すごい漫才師なのだと思う。特にお笑いに興味もない人を振り向かせる力があるということが。CMになり、急いでトイレに行かなくちゃと思わせるわくわくがある。
つまらない&おもしろい漫才とはなにか
常々、おもしろい漫才とは、なにかについて考えてきた。漫才師を目指すわけでもないのに。令和ロマンの漫才を笑って見ていたら、2年間くらい研究して、論文で発表したくなった。
論文内容は、漫才が進行していくと同時に、分刻みの視聴率やTVer再生回数、Google検索ワード、X急上昇ワード上位ランキングなどと照らし合わせ、どのネタで視聴者がどう反応したのか数字でチェックする。ネタ内容、ネタ時間、笑い声dB、男女と年齢の分布も含める。ページ数は総数50ページくらい。さて、これを誰にみてもらうか。利益がからまない人がいいな。
その前にまず、「つまらない感じ」からざっくり挙げる。
つまらない①ーコンビ名
おぼえにくいコンビ名、かっこよすぎる名前は、すぐ忘れる。どんなに漫才が面白くても。砂漠に書いた名前が砂嵐でザザザと消されるように、記憶から埋もれていく。「海砂利水魚」が「くりぃむしちゅー」になって、本当によかったと思う。ちなみに、海砂利水魚は細木数子さんに昔番組で「グリーン&ピンク」という名前をすすめられていたが、採用しなかったようだ。
つまらない②ー出だし
身近にないもの、庶民的でないもの、目に見えない存在、マニアックすぎる素材の出だしは、イメージしにくくて、最初から聞いていない。「この前、神様と会ったよ」なんて話で始まったら、あくびしてしまうだろう。
つまらない➂ー内容
ここが一番大事。「何回もずっと練習しました感」が見え隠れすると冷めるし醒める。あと、褪める感じもする。あと下ネタや体形・体型いじり・見た目いじりはB級感がある。「女は~」「男は~」などと言い出すと、この時代、昭和感が出て古くさい。ただ、レトロ感が、かえって味が出る場合も。
この「漫才をものすごい練習した感じ」は、若手の漫才師でよく感じる。ばかばかしい、くだらない、適当さのなかに見え隠れする必死さが、笑いを冷めさせる。やすきよ漫才でおなじみの横山やすしさんは、西川きよしさんがどんなに腕をひっぱって誘っても、練習しなかったそうだ。だから、ぶっつけ本番感が出る。きよしさんが漫才中怒って、やすしさんのメガネを遠くまで飛ばすネタ(とても愛情のある飛ばし方)があるのだが、日頃の互いの感情を本番でぶつけ合う感じが、リアルで笑えた。
おもしろい①ーコンビ名
名前は、みんなが広く知ってるものがいい。そして、人気があるお笑い芸人の名前は、ちょっと気持ち悪い。異次元世界の入り口みたいな。
例えば「バナナマン」。頭がバナナで体が黒い人を想像する。そして「サンドウィッチマン」。サンドイッチに足が生えている人が浮かぶ。さらに「ウィッチ」の部分が特に気持ち悪い。魔女も具材としてはさまっているのか?また「くりーむしちゅー」だとかわいいけど、「くりぃむしちゅー」の「りぃむ」の部分、まるでドラえもんポケットの4次元の入り口がチラリと見えているようだ。
「みんな知ってる庶民的ワード」+「異世界への入り口」の考察でいくと、浮かんでくるコンビ名はこんな感じ。
ポークステっキ わたがしぃ子ら けチャっピンズ どっこラション けしかランズ
どうだろうか。うーん、気持ち悪くないな。ちょっとかわいすぎるか。どなたか、コンビ名が浮かばないお笑いを目指す方、自由に使ってほしい。そしてこの名前を使って仮に売れたら、お笑いライブにぜひ招待してほしい。
おもしろい②ー出だし
みんなが知っているフツウの日常の世界から入ってほしい。分かりやすい→そして徐々に、異世界へと導いてほしい。ここの盛り上がりのイリュージョンを、すごく楽しみにしている。涙を流すほどのくねくねしたお笑いウェーブに乗っかりたいのだ。
おもしろい➂ー内容
出だしはフツウなのに、構成は、なかなか本編にたどりつけないのがいい。ボケ役がいつまでも、筋道からそれる。道の外し方は、細い糸をどんどん絡ませていくようにパンチを込める。ツッコミが軌道修正しても、なかなか本題に入れない。からんだ糸を何度もほどいて元にもどしても、また絡ませる。ボケはロープやへびなど何でも使い、編み上げるように、絡ませる。
さらに、その場で思いついたような、臨場感がおもしろい。「バス停でバスを待っていたら、うしろに並んでいる友だちらしき2人が世間話を始めるものの、くだらなすぎてなかなか本題に入らない。さらに、2人のやりとりがナチュラルすぎて聞き入ってニヤニヤしてしまう。バスが来てしまい、一緒にバスに乗って2人の近くで話を聞き続け、ついにプッと吹き出し、帰宅後も風呂のなかでふふっと笑う」って感じが理想。
ちなみにやすきよ漫才では、その場の感情をぶつけ合う臨場感と、「メガネ、いつぶん投げるんだろう」という、水戸黄門の印籠的な笑いの波待ちウェーブ両方が混在する。それぞれが相乗効果となってよりおもしろい。
令和ロマンの漫才
わたしが見たときの漫才は、旅館に来た客(くるまさん)と旅館の人(ケムリさん)とのやりとりだった。まずつかみとして、くるまさんはケムリさんの顔で、遊んだ。相手の特徴を下げる顔いじりではなく、興味深そうに眉毛をさわって「遊んで」いた。これは、新しい。
そのあと、旅館の話になる。上手な漫才は、正直、扱うテーマはなんでもいい。どんな素材でも料理できるから。要は、巧みな話術だ。令和ロマンは、10000個ある「おもしろい」記憶のなかから、その場で30個くらいを感覚でチョイスしてしゃべっているような即興性がある。そういう意味で、とても賢い方なのだと察する。
ただ、見る側に、お笑い解像度が高くないと、すべて拾えないなと思う。疲れているときや、耳が聞くほうを向いていないと、理解しにくい場合もありそう。…とえらそうに書いたが、令和ロマンのクリエイティビティは、すごい。話術の芸術作品を見ているよう。
そのあと、ほかの出演者全員も交えてお題のあるゲームをしたときのこと。芸人の誰かが、使用するペンを間違えてしまったとき。くるまさんがさり気なく近づき正しいペンを差し出した。これは、カッコよすぎて、笑えない。
漫才が心を解放してくれた
たいくつな天井の模様を見つめるだけの週末を変えてくれた、お笑い番組。漫才を見て育って、やはり漫才が好きなんだと思う。こういう漫才が好きっていうのが、はっきりしている。みんな、それぞれそうだと思う。今年のM1も、楽しみにしている。そしていつか、わたしの考えた名前を誰か、使ってほしい。どうですかね。