どうでもいい話
「500mlの沸騰したお湯に茶葉を入れてしばらく煮出す」
とりあえずお湯を沸かして
茶葉を入れてみるも、そこで悩む。
しばらく、とは?
ここに躓く人とそうでない人は
日本人において何対何くらいの割合なのだろう。
私は躓く。
いや、「しばらく」てどのくらいやねん。
と一旦ツッコむ。
でも超えられないハードルではない。
なんとか自分で折り合いをつけて、
納得のいく答えを求めて実行することはできる。
なので無事に今、
温かいルイボスティーを飲めている。
けれど腑には落ちていない。
なぜ、なぜ水の量は指定しながら
煮出す時間は指定しなかったのか。
①お好みで。
②しばらくの定義がある。
③放棄した。
みなさんはどれだと思いますか?
私の落とし所は①でした。
これが無難なのでしょう。
ただ、だとすれば
「お好みの濃さに合わせて煮出す時間を調整してください」
と書けば良いではないか。
だってだって、それで煮出しすぎたりして
不味くなったらクレームにならない?
ブランドに傷がつかない?
なんでも予防線を張るこの世の中で
危なっかしくはないのかい。
ってそもそもそこまで考える人は
「しばらく」なんて使わないのか。
じゃあ、②なのか。
2〜3分?10分?
それなら「数分」と書けばいいし、
10分なら「10分」でしょう。
だいいち、時と場合によるではないか。
急須に入れたならそれは数十秒〜
ヤカンに入れたなら5分〜
天日干しなら数日間である。
(話が飛んでおります。)
それに今の例だって私の経験と感覚であり、
人それぞれの主観でしかない。
明確な定義のある曖昧な言葉なんて、
存在するのだろうか。
それなら、①なのか。
500mlに対応する茶葉の量を1パックにしたけれど、煮出す時間までは面倒見れねぇよ。
ということなのか。
嫌いではないが。
ここまで書いたなら結論が要るのだけれど、
私なりの回答は④である。
セコイ答えだとは思うけれど、
それがこの世の中の真理であり、
無理なく生きられる方法なのではと思うのです。
はいはい、オーケーと
さっさと作ったルイボスティーを片手に
Netflixを見るも良し、
かれこれ1時間程
ルイボスティー片手にこんなことを考えるも良しである。
行間を読む。
自分の考えの外側に出てみる。
そんなことで、楽しさや世界は広がっていくのだ。