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美術展 『塩田千春 つながる私』


大阪中之島美術館で美術展『塩田千春 つながる私(アイ)』を観てきました。

自分の中にある違和感や問い、それを考え見つめたものを表現する。芸術が内包する際限の無さとおもしろさを、塩田千春さんの言葉や作品を通して感じました。

以下、感じたことを。
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赤と白で表現される作品に包まれるうち、昔、赤く染まるティッシュとともに病院に行き、止血してもらわないといけない程の鼻血を何度も出したことで、"赤と白"を見ると恐怖心が湧いていたことを思い出した。

そして、塩田さんの表現を通して生々しく伝わるものに、どうしようもなく私の中にある違和感が浮き上がってきた。

「生と死」
「不在の中の存在」
不在の中に存在するもの、私たちのつながり、それを視覚的に捉えたとき、なぜか鳥肌が立ってしまった。目の前の空間に姿が見えなくとも「生」の躍動や感情を感じた瞬間、ぞわっとしてしまった。コロナで一層希薄になったように思えた「つながり」を取り戻すように、やはりあるそれを確かめるように作品は作られたのかもしれない。なのに、私はなぜ鳥肌が立つのか、その真意は、と戸惑いながら歩みを進めた。

死、血、地、表現を通して私に迫ってくる。死の恐怖、体を巡る血の赤さ、もうとっくに感触を忘れてしまった地の感覚、それらが私を戸惑わせる。自転する赤い線を見て、ついその影と白い壁のモノトーンに目を移すことで穏やかさを保とうとする自分に、「ああ私は、生と死から目を逸らして生きている」と実感した。
だって怖くて仕方がない。死ぬことも、生きることも。

塩田千春さんの見つめるものは、表現した作品は、私をどうしようもなく居心地悪くさせた。私が目を背けている「そこにある」ものをありありと感じさせてくれたから。

私のこの世界での居心地の悪さは、地に足をつけることや鼓動を聴くことから離れようとしているからなのかもしれない。

「自分が自分でないような感覚」
「他人が自分であるような感覚」
自分から逃げようとして自分に貼り付いている私にとって、塩田さんの存在としてあるがままに感覚を覚えている、それを感じ見つめ問う姿にとても憧れた。