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いつしかの手紙

久しぶりにとあるノートを開けてみたら
さっと落ちてきた3枚の便箋
そのままにしておくのも捨てるのも
なんかなあという気分
ここに記録して、そっと捨てよう


7月4日20時半 名前

自分が欲しい言葉は
待っていても来ないと思うんです。
だから相手に期待してはいけないと思っています。
「答え」もそうだと思います。
誰かに求めてはいけない。
自分で考えて導き出すものだから。

私が話していることは相手を困らせてしまいます。
それはみんなきっと
「ひとこと」が私に与える影響を
恐れているからだと思います。
その気持ちは理解できます。
私がもしその立場だとしてもそうするからです。

そこにもし自分の心を入れてしまったら
「助けたい」なんていう叶わない希望を持って
私に手を差し伸べてしまったら、
同じことが起こる。
現象が繰り返されるんです。
そして失った信頼はもう二度と修復されない。
静かな諦めの音がした。
大きな川が間に流れているように感じた。

私は欲しい言葉も答えも求めてはいけないのです。
自分に起きていることも予測できないことも
理屈では説明できないことも全て
私が抱えて生きていかなくてはならないのです。
寿命が来るまで。

ここに書いている言葉ももう、
きっと私が書いたということは忘れて、
捨てられるでしょう。
あるいは恐怖を与えるでしょう。
身に覚えがないことは本当に怖いから。
だからこうして形にして
想いを綴るのは本当はしたくない。
でもよくわからない
この感情・感覚、つかめない何かが
ただただもどかしくて
こうして文字になることで
すこしでも安心できるんじゃないかと思った。

物事が覚えられないということは
本当に怖くて辛い。
自分がつい数時間前に話していたことすら
忘れてしまう。
なんであんなに涙が出てきたのかも
今はもうわからない。

また凍りついてしまった。
深く深く沈むことしかできなくて
悩むことも悲しむこともできない。
この時間、この感覚は本当に気持ち悪い。
生きている実感がしないのです。
ただ頭がぼんやりしていて、
何かを話すべきだと思って口を開いても
自分が本当に思っていることとは
違うことを言っている。
というかただ言葉になって出てくる、という感じ。
とにかく自分という実体の認識が薄い。

私は本当は誰なんだろう。
とずっと考えている。
その答えは誰も知らない。
問いてはいけないことなのに。

もしこれを思い出せない私が
これを読んでいるなら
私はこれくらい実体のないもので
何も知らないしわからない
答えも知らない状態でいることを知って
何を思うだろうか。
誰にすがれば良いかと嘆くだろうか。

誰もいない。
「助ける」なんてことができる人は
誰もいないということを
知っていてほしい。

記憶がなくても、
同じ人物同じ人間の中で起こっていること。
だから責任は全てこれを書いている私
それを忘れてしまう私
全てにあって、
私は覚えていないからと言って
逃げたり見ないふりをするのではなく
きちんとそれを受け止めなくてはならない。
私以外の全ての人には
どれも「私」という人間であることには
変わりないのだから。

良い人もいなければ、悪い人もいない。
正しいこともなければ、間違っていることもない。
あるのは私が今こうしてここに
書いているという事実だけなんだ。


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