指先までわたし
今私の左の人差し指には
ガラスの指輪がある
全てガラスでできていて
私からみて正面に一粒の大きなガラス玉がついている
そのガラス玉は風船のようになっていて中は空洞だ
実際にこの指輪には「バブル」という名前がついている
そのため強い衝撃が当たると簡単に割れてしまう
この「バブル」は私の相棒だ
出かけるときには必ず左の人差し指につける
疲れたとき、少し元気がないとき
そのバブルのガラス越しに空を見てみる
透明の小さなガラスの風船から見える空は
私だけが見られる小さな世界だ
なんどその景色に励まされたのだろう
バブルを買ってもうすぐ一年
割れたことは一度もない
正直、買ったときはすぐに割れてしまうのではないかと思っていた
普段から指輪は気づいたらなくなってしまうこともあったし
ガラスの風船は突起しているから
どこかに軽くぶつけるなんてことは容易に想像できるし
割れてしまっても修理ができるから
そうやって長く使っていこうと思っていたのだ
だから今もまだ左の薬指に
一年前のバブルがいることは
すこし信じられない
もちろん今まで何度も「ヒヤリ」とするときはあった
壁や机に軽くぶつけてしまうたびに
はっとして人差し指を確認する
でもわたしのガラスの風船はしっかりとそこにある
バブルを毎日つけるようになってからだと思う
指先をほんの少し気に掛けるようになった
何かと雑になりがちな動作も
バブルをつけているときはすこし気をつける
このほんの少しの警戒心が
なんだか心地よく感じるのは
それまで意識してこなかった指の先を
少しだけ意識して大事にしているという実感が持てるからだと思う
「ガラスのハート」と最初に呼んだ人は
きっとこころの弱さをガラスの割れやすさと重ねて
そう言ったのだと思うけれど
私にとって「ガラスのハート」は
こころの強さを表しているように思う
割れてしまわないように
普段からほんの少し満遍なく気をつける
そうしていれば
透明で柔らかい光をくれて
時に私だけの景色を見せてくれるガラスの風船が
いつも指先にいてくれる
「心強く」自分でいてくれている
それが「ガラスのハート」なのではないだろうか
年を重ねればそれだけ経験を重ねる
どうしたってこころは揺さぶられるけれど
「ほんの少し満遍なく気をつける」
そんなふうに生きる毎日を積み重ねるのは
なんだか良さそう
そんな気分
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?