わたげ3/14
今日は日中少し暖かくなってから
いつもの散歩道を歩きました
すると芝生に咲いていた
たんぽぽのわたげが
強風に吹かれてふわふわふわ〜っと
飛んでいきました
わたげってなんだか切ないですよね
種子が舞って新たな土地に根付くのだから
本来とても嬉しいことのはずなのに
どこか寂しくて切ない...
なんだかこの時期の
春に訪れるお別れに
似ているなと思いました
今日は「春のお別れ」について
お話ししたいと思います
突然ですが、みなさんは
「もうこの人とは一生会うことはないだろう」
と思って笑顔でお別れしたことはありますか?
私は何度か、いや何回もあります
前の投稿でも書きましたが
私は転校続きだったので
転校のときのお別れなんかはまさにそれです
もうきっとこの人たちと会うことは二度とない
毎日同じ教室で
同じ時間を過ごしていたけれど
今、手を振って「バイバイ」と言っている瞬間が
終わってしまったら
もうこの人生で会うことはないのだろう
そんなふうに考えて
いつもお別れしていました
転校だけではなく、卒業式なんかもそうです
転校がおめでたいかは不明ですが
(転校生はなかなか大変なので!!)
卒業式はそれぞれが
新たなスタートに立つわけですから
心から祝福したいものですが
やはり私の頭の中では
さようなら、
きっともう一生会うことはないんだろうね
と思ってしまいます
考え方のクセですね...
世界は狭いのだから
きっとどこかで会える!
と考えてお別れする方もたくさんいると思います
そしてそれはすごく前向きで
明るいお別れができますね!
でも私は
「もう一生会うことはないだろう」
と思ってお別れすることが
なんとなく「しっくり」くるお別れなのです
なんて冷たい人間だ...
とはどうか思わないでくださいね!
説明します!
そのジャッジはちょっと待って...!
もちろん「また会いたい」と思う友達は
たくさんいますし、実際にたくさん会っています
年に数回会う友達も、
数年に1回会う友達なんかもいます
みんな一度はお別れしても
また会えた人たちです
でもそのような人たちは本当に一部です
(だからこそ尊くて大切にしたい存在です...!)
インスタのフォロワーにはいるけど
お別れしてから1回も会ってないな...
なんて人が何百人もいるわけです
毎日廊下ですれ違ったら
笑顔で「おはよう!」と言ってくれた女の子も
隣の席で恥ずかしそうに
英語のセリフを読んでいた男の子も
もう会えないのです
でもそれでいいんです
私の人生を彩ってくれた大切な存在なのです
会えなくても、その事実は変わらなくて、
ふとしたときに思い出して
クスッと笑ったり、ちょっと寂しくなったり
彼らはそんな「後味」を残してくれたのです
だから一生会えなくても
私はいつだってあの頃を思い出せて
「後味」を噛み締めることができるのです
そう考えると
私のお別れの仕方は
そこまで寂しいものではない...と
私は思うのですが
解釈は皆さんの権利ですから
どう思っていただいても
もちろん構いません
私が愛してやまない
(卒論に使うほどです...!)
脚本家の坂本裕二先生
(2回目のご登場です...!)
のドラマ『カルテット』の中で、
私のお別れに対する感覚を
まさに綺麗に言語化されていて
感動した言葉があります
いなくなるのって、
いないことがずっと続くことです
いなくなる前より
ずっとそばにいるんです
この言葉に出会えたとき
ようやく腑に落ちたような心地になりました
そうなんです
お別れしたあとのほうが
「そばにいる」のです
会わなくてもその人のことを
元気かな...何してるかな...
ってふと考えることができるのは
きっと毎日会っていたときよりも
ずっとずっと「そばにいる」のです
わたげが飛んでいくように
春はたくさんの人に旅立ちが訪れます
私もしばらくお世話になっていた方々から
この春にお別れします
旅立ちです
「また会える」と考えるのもとっても素敵ですが
「もう会えない」「でもそばにいる」
と考えるのも悪くはないのかなあと
私は思います
どんな形であれ
私たちの人生を彩った出会いと
さよならするのです
そしてまた新しい出会いが
必ず訪れるのです
春はそんな季節なのです
それでは、おやすみなさい
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