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【掌編1】 左手は海

 おばあちゃんの左手は海だった。そのことを、わたしはずっと前から知っていた。
 毎年お盆になると、父の運転する車でおばあちゃんの家へ向かう。年に一度の再会に喜び、わたしの頭を撫でるおばあちゃんの左手は、透明な青色の海だ。まるで空間に手形の穴が空いているように、そこだけが海なのだ。
「きれいな手だね」
「これは、どこかの海なの。左手でもあるし、海でもあるのよ」

 たぶん、浅い海だった。差し込んだ太陽光が、白砂の海底を照らしてきらきら揺れていた。小さな岩礁が見切れていた。左手をどう動かしたって、どこから覗き込んだって、手形に切り取られたアングルは変わらず、同じ画角で海と岩礁を映していた。
 岩礁には、一匹の魚が住んでいた。その種類をわたしは知らないし、おばあちゃんも知ろうとしなかった。どちらかと言えば、小魚だった。魚は美しい青色の鱗を翻して、岩礁に生えた藻を啄んで、日光浴をして、岩礁の下で眠った。そして時々左手を通して、おばあちゃんに無言で語りかけた。
「とってもお喋りなの」おばあちゃんは言った。言葉がなくてもわかるんだって、嬉しそうに。「私の、いちばんの友達」
「いつか直接会えたらいいね」左手はどこかの海でもあるから、岩礁と魚はこの世界のどこかに存在しているはずだ。「お喋りできたら」
 おばあちゃんは左手を撫でて、「そうね」と言った。そうして柔らかい眼差しを魚に向けた。おばあちゃんの瞳の表面は、海の光を浴びて輝いていた。

 左手の海のなかに触れることはできない。わたしがわたしの内臓に触れることができないように、左手のなかに手や物を入れることはできない。それでも左手の表面、つまり海の表面に触れることはできて、それはひんやりとしている。わたしはおばあちゃんの冷たい左手で、頬を包んでもらうのが好きだった。何せ会うのがお盆だったので。
 右利きで良かった、とおばあちゃんはよく言った。左利きなら、物を掴みづらいから、って。左手で何に触れようと、海水は漏れなかったし、物は濡れなかった。それでもやっぱり、海で金属に触れるのは気が引けるらしい。結婚指輪は右手の薬指に嵌っていたし、おじいちゃんからもらった腕時計を左手首にはめるときも、「とってもドキドキするのよ」と、おばあちゃんは小さく笑った。

「物に直に触れずに済むよう、手袋を買ってこようか。何度洗濯してもへたれない良品を」
「金属が苦手なら、レザーベルトの腕時計や、付け替え用の木製のドアノブもついでに」
 両親の提案に、おばあちゃんは苦笑して「私のことは気にしないで」と言った。両親の気遣いは的外れで、つまりふたりは、おばあちゃんの悩みの本質を理解していなかった。おばあちゃんの左手の海は、おばあちゃんとわたしにしか見えていなかったのだ。
 わたしが左手の話をすると、両親は決まって困った顔をした。おばあちゃんが、幼いわたしに嘘を吹き込んだのだと思っていた。いつかわたしの背が伸びて、現実と虚構の区別がつくようになったときに、その魔法は解けるだろうと。でもわたしは、いくつになっても、おばあちゃんの左手は海だと言った。それがわたしにとっての現実だったから。

 次第に、両親はわたしをおばあちゃんの家へ連れて行かなくなった。わたしが日々の生活(主に勉学)に追われるようになったのもあるし、両親がわたしを深く心配したのも、そして仕事が多忙になったのもある。
 その間に、おばあちゃんは子供のことを忘れ、孫のことを忘れ、生活を忘れ、出来事を忘れ、もういないおじいちゃんを探すようになっていた。

 七年ぶりに施設でおばあちゃんと顔を合わせたとき、おばあちゃんはわたしが誰だかわからなくなっていた。それでもわたしが左手の海のことを話すと、しわだらけの顔をさらにしわくちゃにして、にんまりと笑った。
 おばあちゃんはたくさんの人のお世話になっていたけれど、きっと施設の誰も、おばあちゃんの左手のことを信じていなかった。おばあちゃんの言い分を聞いて、相槌を打って、話を合わせているだけだった。それでもおばあちゃんは、悲しそうではなかった。寂しそうではあったけれど、楽しそうだった。いちばんの友達が、そばにいたから。

 おばあちゃんが死んだのは、よく晴れた冬の日だった。
 こじんまりとした葬儀を行い、休憩を挟んで火葬場に戻ると、おばあちゃんの骨が台に乗って出てきた。一回りも二回りも小さくなったおばあちゃんの全身のうち、左手だけが欠けていた。皆が不思議がった。もしかして、と両親は思っただろう。けれど無言で、スーツを着た人から箸を受け取った。そして皆が順々に、粛々と、箸で骨を摘んで運んだ。わたしも小骨を壺に入れた。
 もともと小柄だったおばあちゃんは、さらに小さな骨壷に納まった。

 納骨日、わたしは壺を抱えて始発電車に乗り込み、終点で降りた。
 駅のベンチに腰かけて、筆箱を取り出し、ペンの先とかハサミの先端とかを使って、骨壺のなかの骨を丹念に砕いた。
 改札を出て、浜辺に下りた。骨壺に手を突っ込んで灰を摑んで、夜明けとともに海に撒いた。
 うちに帰って空の骨壺を見せ、一切合切を話すと、両親はかんかんに怒った。なんて勝手なことを。丁重に取り扱うべきものなのに。わたしは反省したけれど、後悔はしなかった。もしわたしが相談を持ちかけても、彼らは賛成してくれなかっただろう。見えている世界がほんのちょっとだけ、でも決定的に違うのだから。

 あの左手の海がどこにあるのか、わたしは知らない。あの魚の種類も。それでもおばあちゃんは、ようやく全身が海になった。そうだ、ようやく、海になれたのだ。その自由な身体で、水の隙間を縫って泳いで、あのどこかの海まで行けたらいい。そこに住む一匹の魚と仲良くお喋りして、日光浴をして、岩礁の下で眠って、楽しく過ごしてくれたらいい。そしていつかわたしの左手も、骨と肉とその他でできたこの左手も、海になればいい。
 ある日突然、何かの拍子に、あるべき姿に戻るように。